[報告]朝鮮学校問題を考える連続企画
差別問題や民族教育での日本社会の責任を痛感


ウリハッキョ上映後の感想会
 5月22日・23日、大阪市内の阿倍野市民学習センターで、リブ・イン・ピース☆9+25主催[朝鮮学校問題を考える連続企画]を行いました。高校無償化からの朝鮮学校はずしが強行されたことに対して抗議し、朝鮮学校の役割や民族学級・民族教育の意味・意義をじっくりと考えてみようと企画しました。
 一日目は北海道の朝鮮学校を舞台にしたドキュメント映画『ウリハッキョ』の上映。二日目はリブインピース@カフェで「高校無償化からの朝鮮学校はずしを許さない」。ここでは、大阪市内の小学校で民族学級を立ち上げ実践している日本人の教員のお話を聞きました。二日間で50人を超えるみなさんが参加してくださいました。
 二日間の催しを通じて痛感したのは、日本社会が在日韓国・朝鮮人の人たちにとっていかに住みづらく重苦しいものになっているかということでした。映画『ウリハッキョ』では、朝鮮高級学校で集団生活をし生き生きと学ぶ子どもたちが、北朝鮮への修学旅行から帰ってきた港で、反北デモで迎えられ、命の危険さえ感じる場面はとりわけ印象的です。

映画の一場面
 また、二日目の民族学級の取り組みの報告では、在日の子どもたちが「民族名」を名乗り在日であることを表明することが並大抵のことではなく、それはとりもなおさず日本社会が多大な困難を強いているからなのだとわかりました。
 民族学級とは在日の児童たちが放課後にハングルや韓国・朝鮮の文化などを学び、遊ぶ場ですが、単に「作るぞ」と言って作ったらいいというものではなく、参加する子どもたち自身とその保護者の理解を得、さらには日本人の子どもたちやその保護者、学校中の同僚などの理解も得られなければなりません。実際、民族学級の中では生き生きとしていた児童が、全校児童の前で発表会をする段になって急に尻込みするということもあるそうです。カフェに参加された在日の女性が「自分に対する差別は耐えられたとしても、子どもや孫が差別されることは耐えられない」と語り、子どもたちが民族名を名乗ることへの複雑な心情を吐露されたこともあり、改めて日本の差別構造の根深さを感じました。
 以下に二日間の企画に参加された方のアンケートと、アットカフェで出された報告の一部を掲載します。

2010年6月30日
リブ・イン・ピース☆9+25 N


5/23日アットカフェ「高校無償化からの朝鮮学校はずしを許さない」の報告
 公立学校での民族学級の取り組み
 朝鮮学校を無償化から排除することに反対する
 阪神教育闘争に学ぶ 民族教育と日本

5月22日 映画『ウリハッキョ』アンケート

※参考 映画『ウリハッキョ』(リブインピースブログ)

☆ この企画をどこで知りましたか
・友人の誘い
・会員
・知り合いに紹介されて
・Live in peace 9+25の案内で
・チラシを見て
・リブインピースのHPを見て

☆映画『ウリハッキョ』の感想をお書きください。
・ミョンジュン監督と生徒の交流があって、撮影されているのがわかった。(出発の時など)日本人の差別のいやらしさが実感できた。
民族性を守るというのは大変であると思った。寄宿させる親の方も、その思いも辛いだろうが、そんな思いをしなければいけないのかと異国に住む辛さを感じました。

・すべてが感動でした。最初の担任の先生が決まるところ、生徒と先生の隔てのない関係、寮の生活、藤代先生、体育祭、高体、卒業式、全部印象深く、よかったです。
韓国では民族性は内面的でいいが、在日の人は外面に出さなければならないという言葉が心に残りました。

・子どもたちの明るい笑顔に救われました。
12年間の寄宿生活は、母として心配なのはよくわかりました。でも、この12年間で、子どもは強く育っていくのだと思いました。
朝鮮学校の子どものチョゴリを切ったり汚したりしたことが思い出され、日本人としてとても恥ずかしいと思いました。

・大変な環境の中で長期にわたって守り続けてこられたウリ・ハッキョに言葉にならない感動と敬意がこみ上げてきます。歴史の過酷さも感じずにはおれません。日本人としてやれることをやり続けたいと思います。

・とても有意義な映画でした。朝鮮学校のことをよく知らなかったので、見させていただいて本当によかったです。
日本で差別され抑圧されている中で民族のほこりを守る教育をしてがんばっていることに感動しました。
チマチョゴリを安心して着れない日本の状況はとてもおかしいし、それを許している私たちがはずかしいと思いました。

・自分の中にほのかに残る差別意識、またマスコミなどにあおられて浮き彫りにされる差別意識を心の底から払拭したいとこの映画を視て強く思った。

・学生も先生もとても輝いていた。人を育てる教育をしている。
日本の教育よりも人も育てる。勉強も行事も皆で一生懸命でうらやましい。

・府下中学校の教員をしていますが、ウリハッキョについては10年ほど前までサッカー、スポーツの問題として、国際交流の問題として、人権学習の一環でよく教えていました。が、最近、(学校)、教師自身も、マスコミ(反北朝鮮キャンペーン)に負けていて「攻撃」を恐れ、取り組みの自粛が、この問題でも起きています。私達教師がこの映画を見ないといけないと強く感じました。

・朝鮮学校の学生が、日本人の差別の中でどれだけ苦しめられているのがよく伝わってきた。日本の差別をなくすことが大事だと思いました。

・朝鮮学校の学生が北朝鮮の祖国へ行き、生き生きした姿が素晴らしかった。

・この映画は二度目ですがあらためていろいろ考えさせられました。
民族教育というものの重要性はもちろんなのですが、広く「学ぶことの意義」というものを考えさせられました。

・朝鮮学校の生徒たちが生き生きとしていて、自分たちのおかれた立場のことを真摯に受け止めている様子に感動しました。
 修学旅行の生徒たちが祖国を見て、北の人たちの素朴さに感動し、誇りをもてたのは本当によかったです。しかし帰国した時の(新潟での)出迎えが、万景峰号の入港禁止の横断幕というのは本当に悲しかったです。迎える日本人、受け止める生徒たちはどんな気持ちだったのか聞きたいです。

☆日本政府の高校無償化や橋下府知事のことなど、朝鮮学校に関わって起こっている様々なことについて、どのようにお考えですか?
・朝鮮学校を一条校に認定すべきである。

・あらためて日本社会で、在日の人たちが受けている差別の厳しさを知りました。行政がその差別の先頭に立つなんて考えられません。

・橋本知事の心ない発言がどれだけ在日の人々、そして子ども達を傷つけているのか、知ってほしい。

・日本の民主主義の水準が問われており、何んとしても朝鮮学校除外を阻止しなければならないと思います。

・許せないと思います。朝鮮学校が日本の学校と同じように扱われるべきだととても思います。

・高校無償化よりも小中学校(義務教育)に関わる全てのお金を完全無償化すべきだと思います。
橋下は論外です。

・在日朝鮮人差別、沖縄差別、アイヌ民族差別etc.
日本社会の差別構造、私達日本人の差別意識はどこから来るのか、無意識でいると差別するようになる、という事をつくづく思いました。

・これはまさに“いじめ”であり“差別”です。許せないことです。

・橋本知事の差別発言は厳しく糾弾されるべきだ。日本人自身がそうさせなければならないと思う。

・差別的な発言を平気で繰り返す橋下を放っておいては大阪の恥です。橋下が大阪(在日韓国朝鮮人の多い、差別をなくすことに教育も含めて取り組んできた大阪)の知事であることは恥です!

☆その他、私たちはどうすべきかなど、思うことがありましたらお書きください。
・ウリハッキョへの支援の道などありましたらおしえてほしいです。どんな支援が必要なのか知りたいです。

・事実をもっとみんなに伝えていくことだと思いました。

・朝鮮学校のこと、在日のこと、現実を知ること。他の人に知らせる、伝える。差別構造改善の闘いにどう関わっていけるのか…と思う。

5月23日アットカフェの感想

・教員の方のお話、感動的で涙出てきました。
ゼロからの出発ですが、表現されていないところにあると思う苦しみが伝わってきて、一人でも一歩づつ着実に目標に向かって歩みをすすめろことの重要さを改めて痛感しました。
@cafeの企画で泣くなんて想像できなかったけど、地に足をつけて活動することからしか何も始まらないんだと今の自分自身に再確認できて本当に良かったです。

・先生の実践報告に感銘を受けました。見えにくいがはっきりと日本社会に残存する韓国朝鮮人差別の問題を改めて再認識させられました。

・高校生で本名(民族名)を名乗るのは小中学生で名乗るのよりかはやりやすいと思う。まわりの人がある程度知っていたり理解があったりするから。小中学生は思春期に当たるので平気でいじめたりするから。
 学校で名乗ることができても、社会状況がそれを許さない雰囲気をかもし出していると思う。

・自分のルーツを知ることの恐怖が在日にはあること。それはおかしなことだと気付かされる。それを解放していく一つの手段、民族学級はなくてはならない学級だと思った。そしてつい焦点を在日に当ててしまいがちになるが、そのもとは私たち日本人側の差別感情にあることを参加者の思いの中から切実に感じた。『民族学級に行く』というのが一生を左右する決断にさせてしまう日本社会。日本人としてできることをI先生の実践から知り、高校無償化から朝鮮学校はずしは許せないと思った。