リブインピース@カフェ
「天皇代替わりと安倍政権 何のため?誰のため?象徴天皇制の危険性」

報告

 2019年6月9日大阪市内で、リブインピース@カフェ「天皇代替わりと安倍政権、何のため?誰のため?象徴天皇制の危険性」を開催しました。
 4月30日の退位と5月1日の即位を中心とする一連の代替わり儀式を安倍政権が政権浮揚のテコとして利用し、メディアも一大ショーとして垂れ流している状況はきわめて危険です。国民の多くも「平成最後」「令和元年」「新天皇」などと無批判的に受け入れている状況にあります。それに警鐘を鳴らし、秋に予定される「大嘗祭」などの皇室行事に対しても反対や疑問の声を高めていく必要があると考えました。
 冒頭で「退位礼正殿の儀」「剣璽等継承の儀」「即位後朝見の儀」のビデオを観ました。「剣璽等継承の儀」、「即位後朝見の儀」が「剣璽」(三種の神器の内、剣と勾玉)という、国家神道に基づく、天皇の神格性を示す道具を引き継ぐというきわめて宗教性の強い、政教分離違反の儀式であることがわかりました。「朝見」という言葉も「臣下が朝廷に参内して天皇に拝謁する」と天皇がまるで元首であるかのようで、国民主権に反するものです。また、天皇元首化をめざす右翼が「生前退位表明は憲法より上位に立つ行為」として“憲法からの逸脱”を称賛したように、生前退位による代替わりが憲法に反しており決して認められないことを確認しました。
 前半では報告1と報告2を議論しました。
 報告1「安倍政権の「代替わり」政治利用に反対する」では、安倍政権が「天皇代替わり」儀式をいかに改憲につなげるか、夏の参院選の勝利につなげるのかを狙っていることを指弾し、主権在民・政教分離に真っ向から反する代替わり儀式と安倍政権による象徴天皇制の利用に反対する必要が報告されました。
 報告2「『おことば』に集中的にあらわれた象徴天皇制の危険性」は、明仁天皇(当時)が行ってきた天皇の象徴的行為(公的行為)そのものが、象徴天皇制の定着・生き残りを図ってきたもので、それは憲法に違反する行為であることが報告されました。憲法の天皇条項では、限られた国事行為・儀礼的行為しか認められていません。被災地への慰問や「お言葉」や祝賀などは憲法違反です。報告では、天皇制そのものに反対するとともに、憲法が認めた行為に天皇のふるまいを厳しく限定する必要が訴えられました。
 討論では、「天皇制そのものに反対する立場からは、“憲法に書かれている天皇の役割に限定せよ”というような批判は弱いと思っていたが、天皇が憲法を無視して公的行為を拡大しているという批判は重要と思った」との感想が出ました。これに関連して「私は、(戦後しばらくの民主主義教育が行われていた)中学1年生の時、天皇は象徴で、バッチと同じようなものだと教えられた」「昭和天皇が行幸しまくっていた。何ら批判されないのが驚きだった。国民に浸透していったのではないのか」「天皇は国事行為のみしか行えないという指摘は重要」などの意見が出ました。そして「明仁天皇が象徴天皇制を拡大していった。“積極的象徴天皇制”として生き残ろうとしている。それを安倍政権がどう利用しようとしているのかも警戒しておく必要がある」と指摘されました。
 後半の報告3「天皇制、とりわけ天皇裕仁の戦争責任について」では、天皇裕仁の戦争責任について、(1)日本の侵略戦争・植民地支配とその被害、(2)開戦の責任、戦争遂行の責任、降伏引き延ばしの責任、(3)敗戦後天皇制存続、戦争責任の回避、延命をはかり、死ぬまで責任をとらなかった、(4)明仁も責任をとらず、徳仁に引き継がれていることが報告されました。 
 討論では、天皇の戦争責任と戦後教育、教員の責任について議論がありました。教育指導要領で、小学校・中学校で天皇への敬愛が書かれていること、小学校・中学校に天皇即位のことで、通知が出され、日の丸を揚げていること、民間校長が現場で子どもたちに歌を歌わせていること、それに教員が抵抗していることなどが報告されました。
 最後に、主催者からこの問題と関連して「道徳教科書の展示に対する取り組み」が要請され、さらに秋に向け、大嘗祭を中心とした天皇代替わりの一連の行事に反対していく必要が呼びかけられました。

2019年6月19日
リブ・イン・ピース☆9+25

報告1「安倍政権の「代替わり」政治利用に反対する」
報告2「『おことば』に集中的にあらわれた象徴天皇制の危険性」
報告3「天皇制、とりわけ天皇裕仁の戦争責任について」