1/18(月) 戦争法反対ビラまき、アピール行動報告

 1/18(月)、JR・京阪京橋駅で、戦争法反対ビラまき、アピール行動を行いました。16名が参加しました。アピールでは、来年度予算政府案で軍事費が5兆円を超え、社会保障や教育関連予算が削られることを問題にし、「生活を守るためにも戦争法の廃止を」と訴えました。また昨年末に沖縄県の辺野古と東村高江を訪れ沖縄の基地集中の負担の大きさや人々の闘いへの熱意を感じてきたことなどをアピールしました。
 次回の行動は2月15日の予定です。

2016年1月19日
リブ・イン・ピース☆9+25

 

1月31日(日) リブインピース@カフェ
 「戦争法で軍事費膨張! どうなる生活!?
 日時 1月31日(日) 13:30〜16:30
 場所 中央区民センター(地下鉄堺筋本町) <地図>
 戦争法成立で、軍事費はますます膨張。来年度予算案では初めて5兆円を超えます。そのしわ寄せで生活関連の予算は切り捨て。私たちの生活を苦しめて武器を買うなんてもってのほかです!
 (1)戦争法成立を反映する16年度予算案
 (2)膨張する軍事費
 (3)軍事費膨張のしわ寄せで削られる生活関連予算
 (4)人々の生活を苦しめる予算切り捨て


配布したチラシ
 


 (1/18配布チラシより)
来年度軍事費は5兆円!
生活を守るためにも戦争法は廃止を!

「戦争法」態勢実現のため膨大な軍事費
 昨年9月に無理やり成立させられた「戦争法」は、日本を「実際に戦争できる国」に作り替えるものです。そのためには、最新鋭の兵器を買いそろえ、実際に運用できる態勢を作らねばなりません。それには膨大な費用がかかります。来年度予算案で、軍事費は今年度比1.5%増の5兆541億円。第2次安倍政権のもとで、4年連続増加し、史上初めて5兆円を超えます。この膨大な軍事費で、1機100億円の新型輸送機オスプレイ4機、地上設備を含めて1000億円の無人偵察機グローバルホーク、200億円以上するF35Aステルス戦闘機、新型早期警戒機E2D 、1675億円のイージス艦1隻などを導入します。これらはすべて、米と協力して中国を軍事的に包囲し、戦争も辞さない態勢を敷くことが、第一の目的です。さらに自衛隊を、中東をはじめ「地球の裏側」までも恒常的に派兵することも目的です。しかも、武器代金の支払いは「後年度負担」。ローンで購入するため長期にわたって予算を圧迫し、「軍事費を減らしたくても減らせない」状態にするのです。また、いわゆる「思いやり予算」も増額することで日米が合意しました。来年度から5年間の総額は9465億円で、今年度までの5年間を133億円上回ります。

軍事費を削れば大学学費を上げずにすむ
 国は膨大な借金を抱えているため、財政健全化計画で、社会保障費を除く政策予算の伸びを今後3年で計1千億円に抑えるとしています。ところが、来年度の軍事費の伸びだけで、その1千億円の大半を占めてしまうのです。こんなことをすれば、生活関連にまわす予算を削るしかありません。安倍政権が、生活よりも軍事を優先しているのは明白です。
 例えば、文教予算(科学技術振興予算を除く)は0.19%減。公立小中学校の教職員の定数を3475人減らすなどして、予算を削り込んでいます。文教予算は今後も長期にわたって押さえ込む計画で、それは私たちの生活に大きく影響します。たとえば文部科学省は、国立大学運営費交付金を削減して、現在でも年間約54万円の国立大の授業料を16年後には約93万円にするという試算さえ行っています。ますます大学生やその家庭を追い詰め、経済的理由で大学に通えない人を増やすのは確実です。しかし、ここまでやって削減する額は1200億円程度です。軍事費5兆円の一部でもまわせば、学費を上げずにすむのではないでしょうか。

生活を切り捨てて武器を買うなんてもってのほか
 来年には、消費税の増税も待ち構えています。「社会保障のため」だったはずの消費税増税も、軍事費につぎ込まれる構図になっています。私たちの生活を切り捨てて武器を買うなんてもってのほかです! 軍事費を削減し、私たちの生活を守るためにも、戦争法の廃止を求めます。


沖縄・辺野古と東村高江を訪れて・・・
“僕達はあきらめない。相手より1日だけ長く頑張る”
本土から辺野古新基地反対の声を

 現在沖縄で、安倍政権は民意に反し辺野古(へのこ)新基地建設を強行しています。沖縄の「自決権」や人権をないがしろにしています。沖縄県民と翁長(おなが)知事は、毅然として辺野古新基地を跳ね返し、「自決権」を取り戻す闘いを推し進めています。「沖縄の現状を知りたい、闘っている人々の声を訊きたい」という思いで私たちは昨年末沖縄を訪れました。
 12月26日、まず、オスプレイ用ヘリパット建設に反対して座り込みを続けている東村高江(ひがしそんたかえ)のテントを訪ね、話を聞きました。“沖縄は変わりました。辺野古もここも一体です”と。青い空の下に広がる山原(やんばる)の森全体が米軍基地です。反対住民による24時間の座り込みも警戒も解かれていませんでした。

 その後、唯一住民も共用できるという山原の中の道を走って、辺野古へ向かいました。両側の道端に人々と長く続いているテントが、突然目に入ってきました。キャンプシュワブのゲート前に着いたきましが、沢山の人で駐車もできないほどでした。
 辺野古の浜のテント村では、辺野古を訪れた若い人達のグループと一緒に、私たちも説明を聞きました。“この闘いは19年続いている、辺野古の海は宝物、辺野古に新基地は造らせない。僕達はあきらめない。相手より1日だけ長く頑張る”と。沖縄の人々の思いが詰まった言葉が、ズシンと響いてきました。ゲート前では、歌や踊りなどもあって、参加者が交流を深めているそうです。
 辺野古から那覇(なは)市に戻った夜「琉球新報」をめくると、一面トップに「県が国を提訴」という大見出しで、「取り消し停止『違法』」「県民の誇り、尊厳守る」という翁長知事の工事阻止への決意が述べられていました。
 27日朝は、嘉手納(かでな)町の道の駅へ。3階の資料室は、壁に沿ってフェンスが張られ、嘉手納町の歴史や人々の暮らし、町の面積の87%を占める米軍基地の実態などが、フェンスの中から見ているような感覚になるように、展示されていました。

 その後、県庁前のビルで“琉球処分と沖縄”というテーマの展示会を見に行きました。明治政府によって「ヤマト化」がいかに強権的に進められたかを、改めて知りました。沖縄を「捨て石」にしてきた歴史の始まりもその後の歴史も、私たちはどれだけ知っているでしょうか。
 28日朝、空港で時間待ちをしました。那覇空港には航空自衛隊基地が併設されています。待合室から、戦闘機が並んでいるのがまるまる見えていました。それだけでありません。年末で、民間機に遅れが出るほど混み合っているのに、その合間に、民間機と同じ滑走路を使って、戦闘機がすごい爆音をさせながら、4機も飛びたちました。これが沖縄の日常、これが沖縄の現実なのだと痛く思い知らされました。丸2日間の沖縄の旅でしたが、知りえたこと、聞いたことを1人でも多くの人に伝えて、沖縄の闘いを支持し、共に闘う人が増えてほしいと強く思いました。 (アーさん)

 詳細はこちらを参照