3.22イラク戦争開戦6周年 映画&講演会 「冬の兵士が語る『対テロ戦争』の真実」
メールで送られてきた感想
(後日リブ・イン・ピース☆9+25あてにメールで送っていただいた感想です。)

・このドキュメント映像は今まで私が見たイラク関連のドキュメントとは全く異なる衝撃を私に与えました。私は帰還兵の語る言葉に涙が止まりませんでした。マスメデイアによって洗脳されてイラクに送り込まれ、心と身体に傷を負って帰還している兵士の多さについては報道を通じて知ってはいましたが、心の底では「当然の報いだ」とか、同情する気にはなれず、突放して眺めていた事に気づかされ恥ずかしく思います。
 彼らは自分が一人一人の無抵抗なイラク人を殺害した事に対して良心の呵責に悩んでいたのです。しかし、誰だってあのような状況に身を置かざるを得なくなったら、心理的に異常になり、身を守る為に同じ事をした可能性があるものだ、と思います。なのに、良心の呵責? ここに私の想像を超えた彼らの置かれていた現実があるのだと思います。
 さらにイラク戦争に批判的言動を理由に退役後の経済的特典を剥奪されていった戦友の、自分自身の悲惨な現実に直面した彼らは戦友の社会保障を要求し、イラクへの賠償と無条件即時撤退を要求してたたかっているのです。精力的に積み重ねられるミニ集会での兵士の告白、それを聞く参加者の涙。いま、アメリカの深部で静かに創造されていく流れ。これが私の心を揺さぶるのか?
 私は反戦や人権関係の集会や学習会は避けてきました。私の心を揺さぶるものはそこには無いという諦めの気持ちが有ったからです。それでも「かんぴー」のスケヂュールを時折チェックしながら、私が参加したいと思わせるものはないかと探してはいたのです。米兵がイラクで何をしてきたのかを米兵自身が語る、これが私の興味を引きました。行って見よう!
内容は私が予想していたものを越え、私の心を揺さぶり、一言一言をその意味を考えながら必死に翻訳された字幕を追いかけていました。
 涙も溢れてきます。こんな体験は始めてです。殺されたイラク人や恐怖に怯える子供への同情心からの涙ではありません。己の殺人行為を告白する米兵に対して涙していたのです。不思議な感覚でした。私自身でもその涙の意味を説明出来ません。しかし、この涙は私の今後の方向性に決定的な影響を及ぼすような予感がします。
 それほどの衝撃を私は受けたのです。なぜ、涙したのか?ビデオの何が私の琴線に触れたのか?もう少し考えたいと思っています。田保さん、有り難うございました。素晴らしい作品です。○○賞とかを総なめしてもいいほどの出来映えだと、素人ながら思いました。そしてこの作品の持つ「力」を存分に発揮する講演活動を継続して下さい。多くの人の心を揺さぶって下さい。カンパもします。応援します。

・映画と講演会とても良かったです。
 会場全体が田保さんと連帯した雰囲気に包まれていて信頼関係が強く結ばれたような感じでした。後ろから見ててホントに久しぶりにひとつの大きなまぁるい世界が見えた集会になりました。映画の内容も衝撃的でした。自分がこの兵士なら、こんな告白が果たしてできただろうかと。そして田保さんの誠実な人柄、感動しました。
 アメリカ兵の犠牲者は、イラクの民間人犠牲者とは数も性格も違うけど、やっぱり自分がこういう加害者の立場になる可能性だってゼロではない。 そういう場面も想像すると、この告白の意義は非常に大きいし衝撃を受けるものだし、加害の立場だからこそより一層強く平和への一歩となりえるのではないでしょうか。
PTSD、TBIの話はもっと聞きたいと思うところでした。特にTBIは職業柄ものすごく気になっている内容です。PTSDも、自分は病気かもしれないと思ったこともあり、 他人事とは思えない状況です。田保さんの講演内容も含めて、この映画を職場の中でもいろんな形で紹介し、広めていきたいと思っています。

・私が特に印象的だったのが、ある自殺した帰還兵の音読です。田保さんは、何度も読み返しているにちがいない話なのに、詰まる声、あふれ出る涙、そのおかげで、私まで感情が飛び火して泣けてしまいました。
 田保さんも、本当に素敵な人だと思いました。
 今後DVD上映会は、その後の講演もセットで上映すれば、一層感動すると思います。
 感情がいつまでたっても鈍麻しない田保さん、だからこそ、真のジャーナリストを続けられるのだと思いました。しかし、だからこそTV局では続けられなかったのだとも思いました。
 昨日は、田保さんに強く心を揺さぶられました。
 機会を作ってくださって、教えていただいて、ありがとうございました。

2009年3月24日
リブ・イン・ピース☆9+25


・映画「冬の兵士」で私はなぜ、涙したのだろうか?ずーっと、その事が気がかりでした。会場で他の男性も「涙した」と感想を述べられてました。彼の涙と同じなんだろうか?
 涙するには涙する必然性があるのだろう、涙しないにはしない根拠があるのだろう、で、私は何故涙したのだろうか?
 兵士の置かれた絶望的な状況を「理解」したからなのだろうか?
 告白する兵士を見つめる集会参加者である女性の涙のシーンでもらい泣きしたのだろうか?
 何がきっかけで涙腺が緩んだのかは今となってはよく分かりません。米兵の置かれた状況に旧日本兵の姿をダブらせたからかも知れません。
 私は思い出しました。4−5年前に下村恵美子著「98才の妊娠」を読んだときも涙していました。福岡県のグループホームの園長である彼女が、救いがたい絶望的な状態に置かれた多くの認知症患者と家族の苦しみを創意工夫で突破していくすさまじい活動の記録です。この「突破」していく、死を目前にした認知症患者をひと時であれ人間的な姿に戻していく、そのドラマチックな展開に私は感動もし、涙があふれ出てきたのでした。
 私自身、重度の認知症の母を介護し介護地獄寸前まで追い込まれた経験のある身ですから、状況がリアルに分かります。私自身も悪戦苦闘の10年間でした。一つ一つ、眼前の問題を母を見つめ自分自身を見つめて答えを出して解決して来ました。下村恵美子が作っていく世界が己が作って来た世界とダブって見えていました。その彼女が困難な現実を打開していく場面の度に「涙」してたのでした。
 そのことを思い出し、今回の「冬の兵士」への「涙」とともに、それは私の涙の法則かも知れない、と大発見した思いです。
 映画「冬の兵士」の元兵士たちの闘いは今までのアメリカでの「反戦」の闘いとは違う、何が違うのかまだ整理出来ていないませんが「直感」的に過ぎませんが、少なくとも彼らの闘いの持つ「重み」を直感しています。彼らと共に歩みたい、という衝動!この閉塞感の充満する日本社会で「社会参加」したい、けれど一歩が踏み出せないでいる私。その私に一条の光を示しているのかな?とか、「お前は何してるんだ!」と問いかけられ、揺れ動く自分自身に気づき、それが嬉しくて涙したのかも?
 余り、いつまでも60才過ぎた老人の「涙」にこだわるのもおかしいですから、これで終わりにします。
 皆さんの感想を聞かせて下さい。
(これは、4月7日にメールで届いた感想です)