[投稿]在韓被爆者「402号通達国賠訴訟・集団提訴」大阪支援集会に参加して


 去る12月5日、韓国在住原爆被害者(在韓被爆者)388人が、日本政府を相手として、「旧厚生省402号通達国家賠償訴訟」を起こしました。広島地裁に128人、長崎地裁と大阪地裁に130人が提訴し、合計388人の集団訴訟となりました。今後、第2次、第3次訴訟を起し、最終的には在韓被爆者とその遺族2,000名を越える超大型の集団訴訟になる予定だといいます。

 訴訟を起こした同日、広島、長崎、大阪で、原告とそれを支える支援者たちの集会が行われました。これらの集会は、長年に渡って在韓被爆者の支援運動を中心的に担ってきた「韓国の原爆被爆者を救援する市民の会」(「市民の会」)が呼びかけ人となって行われたものです。
 以下、大阪集会に参加して聞いたこと、感じたことを報告して、できるだけ多くの皆さんに情報を共有してもらい、この闘いが大きな成果を生むように、連帯の輪を広げていきたいと思います。

 大阪集会は、12月5日(金)午後6時半から行われました。集会には、原告を代表して、韓国原爆被害者協会陜川(Hapchon)支部長の沈鎮泰(Shim-Jinte)さんと、大邱(Tegu)・慶北(Kyongbuk)支部長の李洪鉉(I-Honghyon)さんが参加し、原告の立場と決意を表明しました。韓国原爆被害者協会は、地域別に、ソウル、畿湖(Kiho)、湖南(Honam)、釜山(Pusan)、慶南(Kyongnam)、大邱・慶北、陜川の7つの支部があり、ソウル、畿湖、湖南の3支部所属の128人が広島地裁に、釜山と慶南の2支部所属の130人が長崎地裁に、大邱・慶北と陜川の2支部所属の130人が大阪地裁に提訴しました。そういうわけで、大阪の集会には、沈支部長と李支部長が参加したのでした。

 集会では、最初に、市場淳子「市民の会」会長が経過説明をしました。市場さんはまず、今回の「402号通達国賠訴訟」は、1972年の孫振斗(Son-Shindo)さんの裁判提訴以来の36年間の闘いの積み重ねの上に起こされたものであることを強調しました。
 孫さんは在日朝鮮人の二世として大阪に生まれ育ちました。大阪で空襲の被害を受けて広島に移住したところ、そこでもまた原爆に被爆してしまいました。孫さんは戦後も日本に住み続けていましたが、敗戦後に植民地出身者に携帯が義務付けられた外国人登録証を携帯していなかったことで逮捕され、韓国に強制送還されてしまいました。しかし孫さんは原爆症の症状に苦しみ、日本で治療を受けるために密入国し、被爆者健康手帳の交付を申請しました。ところが「外国人被爆者には交付できない」と却下され、それで裁判に踏み切ったのでした。1974年、孫さんは勝訴し、この判決によって、外国人に対しても被爆者援護法が適用され、被爆者健康手帳の交付と諸手当の給付がなされることになりました。
 ところが、韓国の被爆者にも被爆者援護法の適用が余儀なくされるという事態に追い込まれた旧厚生省は、それを回避するための方策として402号通達を出し、日本の国内にいる韓国人被爆者には被爆者援護法を適用するが、国外に出たとたんに適用を除外するという解釈を作り上げたのでした。この402号通達の存在は、1995年にその存在が発覚するまで、被爆者運動に関わる人々の間でもほとんど知られていませんでした。通達は法律とは異なり、行政庁が議会での審議を経ることなしに法の解釈として出せるものであって、本来、法的効力はありません。しかし、こんなものに在外被爆者は長い間苦しめられてきたのです。
 在韓被爆者たちは、日本に来れば適用を受けて治療費等の給付を受けられますが、韓国に帰国するとそれで給付は打ち切られていました。また被爆者健康手帳の申請も、来日して手続きをすることが条件とされ、手帳を取得するにも費用と時間がかかり、取得しても韓国に居る限り何の意味もない状態に留め置かれたのでした。その結果、在韓被爆者の多くの方が、被爆者健康手帳を取得されないまま、歳を重ねていきました。
この402号通達の違法性を正面から取り上げた郭貴勲(Kwak-Kihun)さんの裁判が、2002年末に大阪高裁で勝利(国は上告を断念)した結果、翌2003年に402号通達は廃止されました。
 違法な402号通達によって、在韓被爆者から被爆者援護法の適用を受ける権利を長年に渡って奪い続けてきたにもかかわらず、国は、実害を被った在韓被爆者とその遺族たちに対して、何の謝罪も補償もせず今日に至っているのです。
 2007年11月1日には、三菱徴用工被爆者が補償を求めた裁判の最高裁判決で「402号通達による在外被爆者排除に対する日本政府の賠償責任」が認められ、一人あたり慰謝料100万円と弁護士費用20万円が判例として確定しました。
 今回の集団訴訟でも、この例に倣って一人当たり120万円を請求しています。市場さんは、この請求金額は、在韓被爆者の遺失利益と比べると話にもならない額だけれど、不条理を改めさせ、謝罪を勝ちとることがこの裁判の目的であると語りました。

 この裁判では、足立修一、太田健義、金井塚康弘、永嶋靖久の4名の弁護士が弁護団を結成しています。いずれもこれまでの在韓被爆者訴訟に関わってきた方ばかりです。これらの弁護士の方々は、次のような話をしました。
 本来、2003年に402号通達を廃止した際、国の側から謝罪と補償提起があってしかるべきであり、補償対象を探すことも、瑕疵のあった日本政府がすべきことでした。ところが、謝罪と補償を要求した在韓被爆者とその支援者たちに向かって、舛添厚労省大臣は、あろうことか「対処する法的根拠がない。裁判所に提訴してくれたら、裁判所の調停に従って和解に応じる」という珍答弁を行ったのです。それならば、ということで今回の提訴となりました。
 国側はなぜ裁判への提訴を条件とするのでしょうか。どうやら402号通達があったがゆえに具体的な被害があったことを原告の一人一人に立証させようと考えているようなのです。402号通達廃止の時点で被爆者手帳を取得していた人は、その通達のせいで手当を支給されなかったことが明らかなため、立証は比較的容易でしょうが、「402号通達廃止後に手帳を取得した者は、それ以前、つまり402号通達が存在したことによる実害は発生しない」という理屈を持ち出してくるかもしれません。また、現在故人となっている方々については、そうした立証はほとんど不可能です。さらに、手帳取得が困難な方々への慰謝料支払いは強く拒否してくるでしょう。
 今回の第1次提訴は、ほとんど2003年以前に手帳を取得した人たちであり、国が要求してくる高いハードルを越えやすい人から訴訟に踏み切ることにしました。裁判の進行を見、その中での相手の出方を見ながら、ハードルを越えるのが困難な人たちを第2次、第3次訴訟で出していき、韓国の原爆被害者の全員が慰謝料を受け取れるようにしていきたいとのことでした。

 その後、韓国原爆被害者協会の二人が話をしました。
 まず、沈鎮泰支部長は、この裁判への決意表明として、402号通達によって、被爆者手帳を申請しても、手間と費用が掛かるだけで何の利益も得られないようにしたために、多くの被爆者が手帳を申請しなかったのに、そのことを無視して、402号通達廃止後に手帳を取得した者には慰謝料を払う必要がないというのはまったく人を馬鹿にした話だと述べ、日本政府に対する強い憤りを表明しました。
 被爆者手帳を取得していない者に対する慰謝料支払いは絶対認められないとするのも許せない。被爆者手帳取得には、被爆者であることを証言する証人を2人立てろという。402号通達の出た34年前なら、まだ証人になってくれる人は多くいた。今ではもう当時のことを知っている人はほとんど死んでしまい、証人を見つけることは至難である。それでも証人を立てろという。こんな馬鹿な話があってよいものか。
 今回の裁判は、核の存在そのものの不条理さを問う裁判でもある。広島と長崎に原爆を投下し、世界最大の核保有国であるアメリカと、韓国の被爆者にこのような仕打ちをする日本政府には、北の核をうんぬんする資格はない。だからこそ、この裁判は、核の廃絶と東北アジアの非核・平和を願う闘いでもある。
 このように沈鎮泰支部長は力説して話を締めくくりました。

 次に、李洪鉉支部長は、在韓被爆者の置かれている現状について話しました。日本の被爆者と比べたとき、韓国の被爆者は多くの不利益を被っていることを例を挙げて説明しました。例えば、医療給付について、韓国では年間146,000円の上限が設けられており、入院するとたちまち上限を超えてしまうこと、特別療養給付を受けようとすると、何故か日本の医師の診断書が必要なこと、日本と異なり介護手当が出ないことなどについて。また、韓国では被爆者に対する偏見が根強く、未だに子や孫たちの結婚に悪い影響があるとして、自分が被爆者であることを隠している人が少なくない、という深刻な話も出ました。

 集会の最後に、「市民の会」事務局長の松田さんから、2,000人を越える集団訴訟を維持していくためには、かなりのお金が必要であり、ぜひカンパ活動に協力して欲しい、との訴えがありました。続いて、参加者一同で闘争の成功のために力を合わせることを確認し、集会を終えました。
 これまで、韓国被爆者協会の役員さんたちは、日本語の上手な方が多かったのですが、今回来日した二人はともに日本語が出来ないとのことでした。二人とも、帰国したのが小学校に上がるか上がらないかの時であり、当然のことではあるのですが、10年前には、20歳前後に帰国したた方々が役員をしていたのです。時間の流れを痛感させられた集会でもありました。それだけに、解決を急がなければという思いを強くしました。

2008年12月8日
リブ・イン・ピース☆9+25 H&Y