ジョルジュ・ムスタキの死に思う──『ヒロシマ』を再び

 2013年5月23日、フランスの歌手ジョルジュ・ムスタキ(Georges Moustaki)が79歳で亡くなった。
 ギリシャ系ユダヤ人としてエジプトに生まれ、17歳の時にフランスに移住したムスタキは、その出自からフランスの中で「よそ者」意識を抱き続け、その気持ちを歌に込めていった。1957年からエディット・ピアフをはじめ何人ものシャンソン歌手のために曲を作り、1969年からは自らも歌手としてデビューする。
 彼はパリ五月革命に共感を寄せ、スペインの軍事独裁者フランコ大統領を批判する歌を作るなど、フランスにとどまらず全世界に関心を寄せるプロテスト・シンガーとしても知られている。日本の平和運動の中で歌い継がれてきた『ヒロシマ』も、このムスタキの手になる。
 『ヒロシマ』は阪大ニグロの訳詞では次のように歌われている。原水禁大会では『原爆を許すまじ』などと共にこの歌が響き渡ったものであった。

眠れよ わが街
眠れよ わが友
お前のいのり 
僕らのこの腕に 


呼びかける言葉
うたうその唇
お前の微笑み
僕らのこの腕に


時は流れゆく
街は変わりゆく
変わらぬ願い
僕らのこの腕に


囚われの友よ
闘う友よ
お前のこぶし
僕らのこの腕に


働く若者
命はぐくむ者
もえたつ炎
僕らのこの腕に


あなたからあなたへ
海のかなたにも
ゆるがぬ平和
僕らのこの腕に


鳩よ はばたきゆけ
オリーブよ そよげ
ゆるがぬ平和 
僕らのこの腕に
 ムスタキの詩はこれとはかなり趣が違うので、原詩とその日本語訳を紹介しておきたい。
Hiroshima
Georges Moustaki

Par la colombe et l'olivier, 
Par la détresse du prisonnier,
Par l'enfant qui n'y est pour rien, 
Peut-être viendra-t-elle demain. 

Avec les mots de tous les jours,
Avec les gestes de l'amour,
Avec la peur, avec la faim, 
Peut-être viendra-t-elle demain.

Par tous ceux qui sont déjà morts,
Par tous ceux qui vivent encore,
Par ceux qui voudraient vivre enfin,
Peut-être viendra-t-elle demain.

Avec les faibles, avec les forts,
Avec tous ceux qui sont d'accord,
Ne seraient-ils que quelques-uns, 
Peut-être viendra-t-elle demain.

Par tous les rêves piétinés,
Par l'espérance abandonnée,
À Hiroshima, ou plus loin,
Peut-être viendra-t-elle demain,

La Paix!



ヒロシマ
ジョルジュ・ムスタキ

鳩とオリーブによって
囚人の苦しみによって
罪のない子どもによって
たぶん明日来るだろう

日常の言葉とともに
愛の仕草とともに
恐怖と飢えとともに
たぶん明日来るだろう

すでに死んだすべての者たちによって
まだ生きているすべての者たちによって
とにかく生きようとする者たちによって
たぶん明日来るだろう

弱い者たちとともに、強い者たちとともに
合意するすべての者たちとともに
それが一握りの人々でしかなかろうが
たぶん明日来るだろう

踏みにじられた夢によって
打ち捨てられた希望によって
ヒロシマに、あるいはもっと遠くに
たぶん明日来るだろう

平和が!
 ムスタキの詩では、「明日来る」のは、ずっと「elle(彼女)」としか示されず、最後のフレーズでになってようやくそれが「La paix(平和)」(女性名詞)であることが示される。
 平和の到来の前には様々な困難や苦しみがあり、人々の日常の営みがあり、また夢や希望を失っているかもしれない。戦争の危機と平和の困難さが実感される今、異邦人として生きたムスタキがどのような気持ちでこの歌を作ったのかを感じながら、再びこの歌を口ずさみたくなってきた。

『ヒロシマ』(Youtube)

2013年6月5日
リブ・イン・ピース☆9+25 鈴