『オットー・ディックスの版画 戦争と狂乱─1920年代のドイツ』

2010年12月19日まで 於:伊丹市立美術館

 ポスターにひときわ印象的な「直視せよ!」の文字。この作品群を表現するのに、これ以上の言葉は見あたらない。
 オットー・ディックスは、日本のでの知名度は低いものの、ドイツではその名を知らぬ者がないという、20世紀ドイツを代表するリアリズム絵画の巨匠。

 1891年に、貧しい労働者の家庭に生まれたディックスは、2度の世界大戦を兵士として経験し、戦争を生涯のテーマとした。この展覧会には、銅版画シリーズ『戦争』(1924年)が、50枚すべて展示されている。

 1914年に第一次大戦が始まった時、戦争はそれほど悲惨なものとは認識されていなかった。多くの若者は「勇ましく男らしい冒険」に参加するような気持ちで志願した。「すべてを直接体験してみたかった」という動機で志願したディックスも、おそらくその1人であった。だが、現実は違った。この大戦は、戦車や火炎放射器、毒ガスといった大量殺戮兵器が、人類史上初めて使用される戦争となった。国民総動員の総力戦であり、19世紀までの戦争とは次元の違うものだったのである。

 ディックスは、主に「西部戦線」と呼ばれるフランスやベルギーでの戦闘を、機関銃兵として経験した。その地獄のような戦場から奇跡的に生還し、日記やスケッチに基づいて、戦場の現実を描き抜いた。
 その作品は、美しさとは無縁。写実主義を超えて、さらに奥にあるものをえぐり出す「真実主義」とも言われる。死体や瀕死の兵をこれでもかとばかり描き、その残酷さを見せ付ける。

 ポスターに使われたのは『毒ガスを使って前進する突撃隊』。
 バラバラになった死体があちこちに散っている『壊滅した塹壕』。
 目をカッと見開いて苦しむ『負傷兵』
 朽ち果てて骸骨になっても鉄兜をかぶり銃を持っている『壕の中で死んでいる歩哨』
 『壕の中での食事』は、白骨の隣で手づかみで食べる。
 『毒ガスの犠牲者たち』は、顔が膨れ上がって死んでいる。
 ほとんどが兵を描いたものだが、少数ながら『サン・マリ=ア=ピの狂女』など民間人の被害者を描いた作品もある。

 今回は版画展なのでほとんどの作品が白黒だが、カラーであれば正視できないのでは、と思わせる作品も少なくない。驚くのは、これだけの経験をしながら、記憶から目を背けるのではなく、作品に昇華させたことだ。その精神力には、恐れ入るほかない。

 しかし、そうした地獄を生き延びて国に帰った兵士たちはどう扱われたか。ディックスはまた、傷痍軍人に対するドイツ社会の態度にもこだわっている。『マッチ売り』では、両腕、両脚に視力まで失った傷痍軍人が街角でマッチを売っている。が、行き交う人々は目もくれない。犬には小便をかけられるという有様。

 この頃のドイツは、敗戦による混乱から経済的復興に向かい、生への喜びにあふれる一方、享楽と退廃に染まった、「黄金の20年代」とも呼ばれる極めて矛盾に満ちた時代であった。そうした社会から見捨てられた傷痍軍人と、悲惨な戦争被害から目を背け、日々を楽しみたい人々。ディックスは、そういう時代に生きる人々に向かって、「戦場の現実はこうだ!」と突きつけたのである。

 そして、この時代の中から台頭してくるのがナチスだ。ディックスの絵は、再び対外侵略に踏み込もうとするナチスに真っ向から対立する。ヒトラーが政権につくと、ディックスは美術大の教授を解雇され、アカデミーからも除名される。その作品は、「反戦的な気分と兵役拒否を助長する」として、1937年の「退廃芸術展」にも展示された。

 日本から戦場の現実を知る人がいなくなるのも、そう遠くない。それと反比例するように、中国や北朝鮮に軍事的に対抗しようという、無責任な議論も高まろうとしている。この危険な「空気」に対抗するには、戦場を知らない私たち自身が、想像力を鍛えて現実に近づくしかない。ディックスの絵を観ることは、そのための一助になるだろう。

 「オットー・ディックスの版画」展は、伊丹市立美術館で12/19まで。

2010年12月1日
リブ・イン・ピース☆9+25ブログより転載)