リブ・イン・ピース☆9+25 声明
アフガニスタンからの米軍の撤退にあたって
〜米欧日諸国の侵略と戦争犯罪の20年を暴く〜

(1) 8月15日、アフガニスタンの首都カブールにタリバンの部隊が入り、米の傀儡ガニ政権は崩壊し、米国のアフガニスタン支配は最終的に瓦解しました。20年前の2001年10月7日に始まった米国によるアフガニスタン戦争は、米国の側の完全な敗北、米国による支配は完全な失敗に終わりました。
 ガニ大統領は国外に逃亡しました。米大使館員や関係者らは大慌てで大使館の屋上からヘリでカブール空港に脱出しました。まるで1975年のサイゴン陥落の再現のようです。違うのは、サイゴンでは勝利したのが社会主義北ベトナムと南ベトナム解放民族戦線だったのに対して、今回は宗教原理主義で反動のタリバンだという点です。

(2) 傀儡政権の崩壊と米軍の撤退で西側メディアが問題にするのは、将来のことばかりです。タリバンが政権をとれば「民主主義と人権がなくなる」「女性の人権が抑圧される」などということばかりです。あるいは「米軍の撤退は無責任だ」と撤退を批判するものです。確かに宗教原理主義反動のタリバン政権の下では危惧が現実になる可能性があります。しかし、その前に問題にすべきことがあります。米国が侵略を開始してからの20年間は一体何だったのかということです。
 まず私たちがすべきことは、米・NATOを中心とする西側帝国主義の20年にわたる侵略・占領支配の戦争犯罪を徹底的に暴くことです。米軍や同盟軍の侵略と殺戮を免罪したり正当化することは許されません。
 米国が始めたアフガニスタン戦争と傀儡政権樹立、その後続く内戦で20万人以上の人々が殺され、その半数近くは市民の犠牲者でした。また国土は荒廃させられ、数百万人が難民にならざるを得なくなりました。この間に数万人の女性、子ども、老人が米軍とそれが支援するアフガニスタン政府軍によって殺されました。米国とその同盟国は多くの人民を殺し、国家と国土を破壊した責任を免れません。米国は9・11テロへの報復を主張しますが、テロ組織が国内にあるという理由でその国の政府を軍事力で倒すこと国際法で許されず、正真正銘の帝国主義的侵略戦争です。

(3) 実は、米国のアフガニスタンへの侵略は1978年から始まりました。2001年からの20年にとどまらないのです。
 1978年にアフガニスタンに人民民主党が主導する民主政権が発足しました。政権はソ連と協力し、社会主義を指向し、世俗的で多宗教を認め、農業を軸とする民族経済の推進、人民福祉、女性や子どもの教育と解放を推し進めました。中東の要衝における親ソ派政権の誕生に危機感を抱いた米国は叩き潰しにかかります。米国・CIAと米軍が主導し、パキスタン、サウジアラビアなどと組んで、アフガニスタン国内のイスラム武装勢力に大量の武器と資金を供給し、40年以上にわたって内戦を外から押し付けまました。事実上の米国の侵略戦争でした。
 この時に米CIA・米軍と反動アラブ王政が総力を挙げてテロ集団、武装集団に育成し、狂暴化させたのがアルカイダやタリバンだったのです。後にこれらの勢力によって人民民主党政権は打倒され、民主主義や近代化、女性の教育や社会進出は抹殺されます。その時、西側メディアは、米政府と一体となって親ソ派政権の打倒を支持しました。人民民主党政権の民主主義や女性の人権など口にもしませんでした。そして自分が育てた武装勢力が反米傾向を強めるや、今度はテロリストと呼び戦争を仕掛けたのです。「人権」「女性」や「民主主義」など米国が自分の利害の実現のために振りかざす口実にすぎません。

(4) 2001年のアフガニスタンに対する侵略戦争は、その後今日まで続く20年にわたる中東の政権転覆、殺戮や破壊の始まりに過ぎません。侵略は「対テロ戦争」の名目のもと一挙に拡大されました。2003年にはイラク、2011年にはシリアとリビアに侵略の矛先が向けられました。サウジアラビアを使ってイエメンに、イスラエルを使ってパレスチナに攻撃を仕掛けました。
 現在もイランに対する包囲と威嚇を続けています。これら一連の戦争で殺された犠牲者は数十万、数百万に上り、家を失い難民化した人々は1千万を軽く超えます。途切れることのない侵略・殺戮・破壊の首謀者である米国がどうして平気で「人権」「民主主義」を語れるのでしょうか。どうして西側メディアはこれを支持するのでしょうか。メディア自身が侵略者の加担者なのです。最大の殺人者であり、抑圧者である米国には「女性の人権」どころか「人権」や「民主主義」について語る資格などないのです。私たちは一刻も早く米軍が中東全域から撤退することを要求します。

(5) もう一つ、メディアが取り上げない問題があります。日本はアフガニスタンに対する戦争に直接加担した加害者、共犯者なのです。ブッシュ米大統領が2001年10月7日に始めた「報復戦争」を日本政府は直ちに全面支持しました。小泉首相(当時)は「アメリカへの攻撃は日本への攻撃だ」「一緒に戦う」「テロには屈しない」と連呼し、憲法や法律無視で自衛艦をインド洋に派遣し、アフガニスタンを攻撃する米空母、艦船の後方支援・補給を行いました。既成事実先行の後で「テロ特措法」を制定しました。この法律は戦後初めて他国への戦争への加担を認める法律、憲法の平和主義を踏みにじる法律でした。米軍がアフガニスタンから撤退し、失敗が明らかになったいまも、全く反省はありません。それどころか、その後日本政府はイラク特措法、さらには戦争法と米国の侵略戦争に加担し、戦争準備の法律を次々と成立させていきます。20年前のアフガニスタン戦争開始は、日本の侵略国家、戦争国家への歩みの新たな始まりでした。

(6) 私たちは現在の運動(前身である「アメリカの『報復戦争』と日本の参戦に反対する署名事務局」の運動)を2001年の10月7日から始めました。9・11同時多発テロ、米政府による「報復」の異常な好戦的雰囲気に流され、日本国内でも戦争への批判が極めて弱く、反戦の声が小さかった下で、私たちは「報復戦争」反対、自衛隊の加担反対の署名運動を始めました。空爆と戦争による被害だけではありません。UMRC(ウラニウム医療研究センター)からの呼びかけに応えて、アフガニスタンでの劣化ウラン戦争の被害と実態調査の支援し、米のアフガニスタン戦争でのもう一つの戦争犯罪を日本と世界に向かって暴きました。
 その運動はさらにイラク戦争反対、有事法制反対の運動、さらには戦争法反対と現在の「対中新冷戦」反対、対中国戦争準備反対の運動へと引き継がれています。この20年間私たちの目標は一貫しています。日本が米国の侵略戦争に加担・参加することに反対することです。
 私たちは、米軍のアフガニスタン撤退とアフガニスタン戦争20年にあたって、中東・全世界からの米軍の撤退と戦争挑発政策の中止を要求します。特に新しく戦略主敵にすえた中国に対する戦争準備、軍事威嚇に反対します。戦争法廃止を要求し、憲法改悪に反対します。そして同時に、米国の対中国軍事包囲に全面的に加担し、その最前線に立とうとしている日本政府に対して対中戦争準備を中止し、友好協力と平和共存への道を追求するよう要求します。辺野古新基地建設、在沖・在日米軍基地に反対し、日米共同での南方諸島の対中要塞化に反対します。

2021年8月20日
リブ・イン・ピース☆9+25