[番組紹介]アメリカ社会を揺るがす帰還兵問題と「隠れた徴兵制」
    □「戦場 心の傷 (1)―兵士はどう戦わされてきたか─」
    □「戦場 心の傷 (2)ママはイラクへ行った」(NHKスペシャル)

はじめに
(1)9月半ば、NHKスペシャルで「戦場 心の傷」シリーズ(1)(2)が放送された。シリーズ(1)「兵士はどう戦わされてきたか」では、イラク・アフガンからの米帰還兵たちをむしばむ心の傷と、米軍がそれを克服させるために行っている「殺人教育」「殺人訓練」を取り上げている。シェルショックと言われた第一次大戦、第二次大戦、そしてはじめてPTSDが認定されたベトナム戦争へと兵士達の精神疾患を歴史的に取り上げた映像と報告も貴重である。シリーズ(2)「ママはイラクへ行った」は1万人に登るという母親兵をレポートする。招集命令で否応なく戦地へ派遣され、自分の子どもと同じ年頃の子どもを殺してしまった記憶にさいなまれる−−これまで、ほとんど取り上げられてこなかった側面である。
 私たちは、2005年1月、2004年12月に放送された番組「イラク帰還兵 心の闇とたたかう」を元に、米兵のPTSD問題を取り上げた。そこでは、ドイツのラムステイン空軍基地、ランドスツール米軍病院、米ルイス陸軍基地マディガン陸軍病院、国立PTSDセンター、部隊に随行する戦闘ストレスコントロールチームなど、アメリカには兵士のPTSD対策のための巨大なシステムが存在し、昼夜を問わず、消耗品としての兵士を殺人マシンへと再生産している様を紹介した。
[シリーズ米軍の危機:その2 イラク帰還兵を襲うPTSD](署名事務局)

 しかし、それは単なる序章に過ぎなかったのである。当時はまだイラク戦争開戦から1年半しか経っておらず、PTSDは派兵米兵の16%、31000人が精神疾患や負傷のため障害者給付金を要求しているに過ぎなかった。
 それから4年経った。イラク戦争開戦から5年半、アフガン開戦から7年である。まず、ファルージャの大虐殺があった。番組冒頭に登場するのも、この過酷な住民殲滅作戦に従事した2人の兵士だ。ファルージャでは少なくとも市民6000人が虐殺された。さらにモスル、ラマディ、ナジャフ、ティクノリートなど多くの激戦があり、多くの住民が殺され、米兵も死傷した。
パンフレット「2004年11月:ファルージャの大虐殺」(署名事務局)

 何よりも、イラクでの反米闘争、武装闘争の拡大は、「イラクの民主化」のためと刷り込まれた兵士たちを、解放すべきイラク人から命を狙われるという耐えざる恐怖とストレスに陥れることになった。
 加えて、フセイン元大統領による大量破壊兵器の保有がでっち上げであったことが最後的に証明された。ブッシュは2005年12月に戦争の大義であった大量破壊兵器がなかったことを認めている。これは兵士の士気や精神構造、戦闘のモチベーションにとって決定的な意味を持っている。心身ともに傷を負った帰還兵を迎え入れる家族や、息子や夫を亡くした遺族にとっても、「何のために息子は死ななければならなかったのか」「なぜこんな体にならなければならないのか」という本質的な問いへと絶えず向かわせる。
米政府大量破壊兵器調査『ドルファー最終報告』−−確定したイラク大量破壊兵器保有のウソ(署名事務局)

(2)帰還兵問題は、米軍のローテーション危機と深く結びついている。1度だけでなく2度、さらには3度もイラクに派遣された兵士もいる。イラクから帰還した直後にアフガンへの派兵を命じられたものもいる。すでに終わったはずであったアフガニスタン戦争が再泥沼化し、現局面では、米兵の月間死者数がイラクのそれを上回っている。
9.11事件7周年を迎えて(署名事務局)
[シリーズ米軍の危機:その1 総論](署名事務局)

 私達は、映画「ストップロス」の紹介で、除隊希望の兵士を無理矢理軍に縛り付け、任期を延長して戦地で戦わせる「裏口の徴兵制」を書いたが、ブッシュの徴兵制はそれだけにとどまらない。
[DVD紹介]映画『ストップ・ロス 戦火の逃亡者』〜“ブッシュの醜い徴兵制”“裏口の徴兵制”を告発(リブ・イン・ピース☆9+25)

 2002年1月にブッシュが署名した「落ちこぼれゼロ法」(No child left behind)という教育法案は、表向きは学力低下を防ぎ卒業生が就職できる環境を整えるという大義名分だが、軍のリクルーターからの要請があったら高校生の個人情報を提出しなければ助成金をカットするという一文がある。その個人情報から貧困層出身者をふるいにかけ、将来の見通しが暗い生徒たちのリストをつくりリクルーターが直接勧誘するのである。
シリーズ<マスコミが伝えないイラク戦争・占領の現実>その6次々と生み出される反軍隊運動の様々な諸形態−−新兵募集反対運動、反徴兵制運動(署名事務局)
[シリーズ米軍の危機:その5 新兵募集危機と徴兵制復活の脅威]

 また、本来湾岸警備や災害対応を主任務とする州兵をイラク・アフガンの最前線に派遣している。帰還兵を再び州兵登録させ、一度陸軍兵として派遣された者を今度は州兵として派遣するなどの違法行為も公然と行われている。州兵の過剰派遣が地域の災害対応に危機的状況に陥れていることは、2005年のカトリーナ被害が明らかにした。精神障害に陥った兵士を軽傷者と重傷者にふるい分け、軽傷者には適当な処置を施した上で再び戦場にたたき込む「戦力増強システム」。これらがトータルに、貧困層や黒人、カラードを縛り付け、高校生をだまし、ブッシュのイラク・アフガン戦争に送り込む「隠れた徴兵制」として機能している。だが、このようなブッシュのやり方はイラク・アフガンの現地でも、アメリカ国内でももはや限界に達しているのである。

(3)戦死者問題、帰還兵問題とPTSD問題は、今年に入って、大統領選ともあいまって一気に政治問題化した。番組にもあるように、ニューヨークタイムスは、「戦争による荒廃」と題した特集記事を1月に掲載している。そこで、121人の帰還兵の犯罪を実名と写真入りで報じてセンセーションを巻き起こした。陸軍からは、帰還兵のPTSDについて、警告ビデオさえ配布され始めた。
 3月には、「冬の兵士」公聴会が首都ワシントン郊外のシルバースプリング市で開かれ、イラク・アフガンの帰還兵達が、すさまじい戦場の姿を告発した。この公聴会は、戦争に反対するイラク帰還兵の会(IVAW)が主催し、数百人の帰還兵達が集い、公衆の前で、自らが行い、また見聞きした残虐行為を告白した。そこでは、交戦規定を無視した市民の無差別殺りくや、子どもや女性の虐待・陵辱などありとあらゆる戦争犯罪が暴露された。主流メディアのほとんどはこれを無視したが、独立系メディアが報じて大反響を巻き起こし、この9月には証言集が刊行された。この証言集は日本で翻訳が進んでいる。
「冬の兵士」集会:イラク・アフガニスタンの帰還兵が戦争の残虐さを証言(デモクラシー・ナウ)

 4月には米陸軍に極めて近いシンクタンク・ランド研究所が、「戦争による目に見えない傷」(Invisible Wounds of War)として、帰還兵の3割がPTSD(心的外傷後ストレス傷害)やTBI(脳損傷)に侵されているという報告書を出した。また、同研究所は5月には、帰還兵の自殺者が、イラクアフガンでの戦死者数を上回ったことをレポートしている。もはや、陸軍関係機関自身が、真正面から問題にせざるを得なくなったのである。
Invisible Wounds of War(ランド研究所)

 それによれば、「およそ300,000人がPTSDまたは大うつ病に現在も苦しんでいると見積もり、320,000人の退役軍人が配備中にほぼTBIである病を経験し、」「過去に配備された人々のうちの三分の一(31パーセント)が、これらの3種類の体の異常の内の少なくとも1つを持っている」。つまり、派兵された兵士の3分の1、およそ50〜60万人近くが何らかの形で精神疾患・脳障害を負っているのだ。そこで明かされるコストも膨大である。重度精神疾患者一人に4000万円近いコストがかかる。治療費にとどまらない「社会的負担」が覆い被さるのである。9月にはこの報告書に基づいて、TBI患者への補償の増額が決定されている。
米国社会にのしかかるイラク戦争長期化と侵略国家の“暗い未来”(署名事務局)

 「対テロ戦争」の7年間でアメリカの格差は拡大し、医療や教育は切り捨てられ、貧困層が増大した。金融危機の爆発によって、大義のない戦争と富を収奪してきた金融資本の救済にカネをつぎ込むのか、人々の暮らしと生活の救済にカネを回すのか、ますます鋭い対立となるのは間違いない。 戦争の最前線に立たされている米兵達の、人殺しをしたくないという心の傷と叫びは、アメリカの世論を動かす大きな力となるだろう。

2008年10月25日
リブ・イン・ピース☆9+25


[番組紹介]戦場 心の傷(1)―兵士はどう戦わされてきたか─

(1)まずは、現在のアメリカ社会を覆うイラク・アフガン帰還兵のPTSD問題の深刻さである。「kill」「kill」と叫び、ひたすら人を殺すことをたたき込まれる、新兵訓練施設=ブートキャンプが映し出される。そして“殺人マシン”となってイラクへ送られた戦闘経験を経た兵士が、無実の民間人を殺したなどとしてPTSDを発症していく。引き起こされる殺人や自殺、銃撃など“社会的リスク”も深刻である。

 衝撃的な映像で番組は始まる。イラク市街地に見立てたセット。においも砂埃もイラクそっくりだという。ハリウッドの役者がイラク人に扮し、迫真に迫る演技、女性の断末魔のような叫び声、足がもぎ取られ血まみれの特殊メイク。そこで「武装勢力だけを撃つ」という実践さながらの訓練をさせられる。
 アメリカ・サンディエゴにある新兵訓練所、いわゆるブートキャンプでは、週3回新兵が入所してくる。
 新兵は 1 命令への絶対服従、規律がたたきこまれる。
       1 私物は全て没収される。
       1 外部との連絡は一切ゆるされない。

 1年間でおよそ2万人の新たな海兵隊が新たに養成される。米で最も屈強と言われる海兵隊。わずか3ヶ月で高校をでたばかりの若者をここで兵士につくりかえる。上官が、新兵の顔の前で怒鳴り散らす様子は異様だ。新兵は、「仕舞え」「出せ」「仕舞え」「出せ」、「座れ」「立て」「座れ」「立て」−−無意味な命令にひたすら従い続けることで、上官の命令に絶対服従することを体で覚えさせられる。訓練では、“キル”“敵を殺せ”と軍隊の本質をたたき込む。“キル”“キル”と大声で掛け声をあげながら訓練する。

 このブートキャンプからイラクに派遣された2人の青年がいる。2人は2004年11月のファルージャ掃討作戦に参加した。多くの民間人が残る市街に突入した、その激しい市街戦の記憶を2人は今も引きずっている。
クレイ・ネアリー・・・3度イラク派遣の後、除隊した。現在奨学金で大学に通う。夜になると戦場に戻っている自分を感じ周囲を警戒してしまうという。
ジョン・ハーシュ・・・除隊後、毎日アルコールを大量にのむ。部屋には酒の瓶が転がっている。カッとなって我を失うことがある。彼を苦しめているのは悪夢だ。ファルージャで民間人を苦しめたことが繰り返し出てくると言う。奨学金を期待して軍隊へはいったが、23歳で人生の絶望的な場面に陥っている。

 ニューヨークタイムズ紙は今年、「戦争による荒廃」(WAR TORN)と題するキャンペーンを実施した。殺人事件を起こした、アフガニスタン・イラクからの帰還兵121人を実名と共に公開したのだ。
 そのほとんどが酒やドラッグにおぼれた上での衝動的な犯行だ。PTSDと見られながら治療をうけていなかった兵士が多い。“71回刺した”“ガールフレンドを殺害した”など異様な犯行が列挙される。ラスベガスで起きた銃撃事件は象徴的だ。犯人のマシュー・セピ(20才)はビールを買いに街に出て、金目当てに近づいて来た2人に突然発砲し殺害してしまった。逮捕された時のセピの言葉は「待ち伏せ攻撃をうけました。訓練で教わった手順で交戦しました」。彼は帰還兵で、PTSDに陥っていたのである。
※New York Times Special Report “WAR TORN”: 121 Veterans Of Iraq And Afghanistan Charged With Killing Upon Returning Home
  http://www.nytimes.com/2008/01/13/us/13vets.html?_r=1&hp&oref=slogin

 帰還兵問題はもはや無視できない問題になった。米陸軍は、自らがPTSDであることを気付かせようとビデオを作製した。(1)銃を持ち歩く習慣、(2)戦場の恐怖が突然よみがえるフラッシュバック、(3)敵の攻撃から逃れようと猛スピードで車を運転する−−これらの条件に当てはまる人は支援を求めるように呼びかけている。
 どこにでもいて、何をしでかすかわからない、そんな危険な存在として広報されている。

(2)1970年代のベトナム戦争の帰還兵の負った傷がPTSD=心的外傷後ストレス障害と診断され認知されて30年がたつ。だがその歴史はもっと古く、第一次大戦から同じ事が繰り返されてきたのだ。戦争の歴史は、まさに「シェル・ショック」、「PTSD」との闘いの歴史であったとさえ感じる。番組はその繰り返されてきた様を過去にさかのぼって分析している。

―第一次世界大戦―   ヨーロッパ
 戦場での心の傷、トラウマから兵士が戦えなくなる。この問題が初めて深刻化したのが第一次大戦だ。大量殺戮兵器が続々と登場、若い兵士は塹壕の中で絶え間ない死の恐怖にさらされる。やがて奇妙な症状に悩まされるものが現れる。戦場に居るという錯覚、どこも負傷していないのに身体のふるえや麻痺に苦しむ兵士達。こうしたショックは「シェル(砲弾)・ショック」と名づけられた。当時はこうした兵士は臆病者だと非難され、戦場から逃げた罪で処刑されたりした。当時、フランスで行われていた、痛みを伴う電気ショックで症状を押さえ込む「魚雷攻撃」という治療の映像が残されている。戦力の低下を防ぐため兵士達は力づくで前線に押し戻されていた。
Shell Shock and the case of Harry Farr

―日中戦争―     日本 1937〜1945年
 兵士の心の問題は日中戦争以後、日本軍でも現れていたという。戦線は拡大・泥沼化し多くの兵士が精神的な理由から戦えなくなった。当時の日本兵の抱える心のヤミを伝える資料が残されている千葉県の浅井病院を訪ねる。陸軍病院に収容された兵士達の診療記録・病床日誌だ。その数およそ8000人分。精神錯乱に陥ったり、中国兵に襲われる幻視や幻聴に悩まされる兵士の言葉を軍医が書きとめている。
 多くの日本兵が当時「戦争神経症」とよばれていた症状に苦しめられ前線から送り返された。第一次大戦時ヨーロッパで使われた電気療法が導入され、当時陸軍病院で「電撃療法」と呼ばれた治療法が兵士を苦しめていた。戦えなくなるのは兵士1人1人の問題であると、日本軍は精神的な訓練を繰り返した。

―第二次世界大戦―  アメリカ 1937〜1945年
 第二次大戦に参戦した米国は日本軍を相手にかってない犠牲者をだす。米軍は兵士のもつ戦闘能力をさらに引き出すために、戦場における兵士の精神状態を知る研究に着手した。研究を担った一人S・L・A・マーシャル米陸軍の要請で多くの兵士をインタビューし、著作「発砲しない兵士達」にまとめた。その中で、戦場で発砲した兵士の割合「発砲率」に注目、最大で25%にすぎなかったと指摘。軍に大きな影響を与えた。
 記録された兵士の肉声。「これ以上人が殺されるのを見るのが耐えられません」「実際に殺されるのを見たのか?」「山ほど見ました」
 マーシャルの分析−−“人は同胞たる人間を殺すことに対し・・抵抗感を抱えている。・・いざという瞬間に良心的兵役拒否者になるのである”
 マーシャルの提案−−兵士が他人を殺すことに抵抗感をもつとすればそれを克服する訓練が必要である。訓練を実際の戦闘に近い、よりリアルなものに改良、射撃訓練も人の形をした標的をつかう。そうすると兵士は、敵は人型の標的のようなもので、訓練でいつも実行していることをすればよいのだと抵抗感をのりこえる。

―朝鮮戦争―     アメリカ  1950年
 兵士の戦闘への参加率、すなわち発砲率が第二次大戦時の2倍になったと、マーシャルは軍に貢献した民間人として表彰される。

(3)“人は同胞たる人間を殺すことに対し抵抗感をかかえている”、これは人類が人類として生きていくための本能ともいえる知恵だと思う。国家と軍隊はそれを克服させ失わせようと、兵士を戦争を遂行するための機械の歯車や道具にかえてしまおうとしたことが解った。それと、多くの日本軍兵士は国家のため、天皇のためと「洗脳」されていたと思っていたが、こうした事実があることを知ってなぜか救われた気分になったのと、この問題にもっと寄り添ってみようという気持ちになった。

―ベトナム戦争―   アメリカ
 アメリカは南ベトナム開放戦線とそれを支援する北ベトナムへの攻撃を行った。開放戦線は乏しい資材を総動員したゲリラ戦を展開、戦局は泥沼化していった。
 米軍はベトナム戦争を戦う兵士をどのように訓練したしたのか。元訓練担当軍曹スティーブ・ハスナが語る。連日“キル”“殺せ”という言葉を繰り返し叫ばせながら新兵の身体をいじめぬくブートキャンプ。「新兵から民間人の部分を消し去り兵士に変えます」「まず敵は人間以下だと教える」。マーシャルの人型標的も突然起き上がるホップアップ式に改良、反射的に発砲する訓練を繰り返す。「何か動くものがあると反射的に撃つ、そのときはもう何も考えていません。その効果は劇的なものでした」。

バーナード・シンプソン(元陸軍兵士19才)の証言
 1968年、ソンミ事件(ソンミ村に入った米軍が老人や女性・子供などおよそ500人を殺害した)が報道され衝撃を与えた。
 事件から20年後、バーナード・シンプソン(元陸軍兵士19才)は25人の村人を殺害したと証言した。彼は、何かを抱えた女を「撃て」という命令で撃った。倒れた女を見に行くと、赤ん坊を抱えた若い母親だった。「私は自分が許せません。どうして忘れたり許したりできるでしょう」。証言から8年後、シンプソンは自ら命を絶った。それまでに3度自殺をはかっていた。
 ベトナム戦争から帰還後、社会に適応できない兵士が次々と現れた。帰還兵の2人に1人がその後の人生で何らかのトラブルをかかえたとされる。
 精神科医ロバート・リフトンは帰還兵の心の変化にいち早く気付いた。リフトン等の提言でPTSD=心的外傷後ストレス障害と新たな診断名がつけられた。深刻な心の傷・トラウマが症状を引き起こしその後の人生に重大な悪影響をもたらすことが初めて認知された。1970年代後半から米軍はハイテク兵器を駆使した新しい戦争を模索、遠く離れた場所から敵を攻撃する戦略を追求していく。

(4)番組の中で、反戦運動の高揚が、帰還兵達の心の傷を増加させたように言っているところがあったが、それは違うと思う。周りの無理解がそうさせた面はあったかもしれないが、兵士達の心の問題は、“体験”そのものにあり、その傷は深く、ヤミは奥深いと思った。

―2001年同時多発テロ ―
以後、アメリカ・ブッシュ政権はテロとの闘いに突入していく
―2003年イラク戦争―
 イラクに駐留する米軍は、民間人に紛れ込んだ武装勢力との接近戦に否応なくひきこまれる。民間人が負傷したり命をおとしたりする事態が相次ぐ。
 アメリカ海兵隊ペンデント基地では、いかに的確に攻撃するか実戦さながらの訓練を行う。「交戦規定書」がイラク戦争から初めて全員に携帯が命じられ、厳しい訓練の合間に頭にたたきこまれる。そこには守るべきルールが列挙されている。1 民間人は保護しなければならない。1攻撃は敵対勢力と軍事目標に限る。1 武器使用の判断は兵士個人に委ねられる。等々。
それは、“殺せ”というプレッシャーと“殺すな”というプレッシャーだ。
 ファルージャ掃討作戦に参加しPTSDに苦しんでいる、アンドリュー・ライトはいう。
 「人生は一度だけです。アメリカに帰還した時、棺おけの中に居るより手錠をかけられている方をえらぶ。これが私を含む海兵隊員達のホンネでした。」

 米軍の軍事戦略に大きな影響力をもつランド研究所が「戦争による目に見えない傷」2008年4月 という報告書を発表した。
 “アフガニスタン・イラクでの米軍の戦死者・負傷者は朝鮮戦争やベトナム戦争に比べて圧倒的に少ない。しかし兵士達の目に見えない心の傷の問題が深刻化している。PTSDなど精神的トラブルを何らかの形で抱えている兵士の数は、帰還兵全体の2割に当たる30万人と推定。治療などに62億ドル以上が必要だと試算。”と記されている。

 ロバートスケールズはいう。
 “戦場に送りこむ度に、何度でも事前に訓練をして心のそなえ=予防接種をうち、戦場に直面させ慣れさせる必要がある。そして、一旦任務が終われば、逆の訓練をして日常に連れ戻してやります。その繰り返しが必要です。”
 フォートキンベル陸軍基では、PTSDの治療を行う施設の拡充が現在進められている。心に傷を負った兵士を治療し軍に復帰させるのが目的だ。
 戦場で心に傷を負う兵士!そして兵士を戦わせようとする国家!ブートキャンプでは今日もまた戦場に派遣される新兵の訓練が続いている。

(6)この番組を再現しまとめ終えて、当初よりは私は私なりの思いをめぐらせることができた。帰還兵達は“自分を許せない”“悪夢をみる”などと自分を責め、苦しみ、恐怖や不安に陥っている。これを、そのまま「個人の問題」にとどめさせてはならないと思えてきた。
 格差社会アメリカでは、新自由主義のもとで格差がさらにさらに拡大した。今日の経済の危機のなかで底辺におかれた者の生活は一層おいつめられている。生活の為、生きていく為に軍隊に入ることを余儀なくされたり、今もされている若者達や女性達が多くいる。そして軍隊で徹底的に人間性をおしつぶされ、訓練されてイラクに派遣される。彼等・彼女等のうめきの声は「個人の問題」ではない。そうさせてはならないし、彼等・彼女等にそうおもわせてはならないのだ。この声が「社会の問題」「国家の問題」であることが理解され、認められるように、彼等・彼女等の証言は語られ続け、広められなければならないと思う。



戦場 心の傷(2)「ママはイラクへ行った」

 1973年、ベトナム戦争で徴兵制を維持出来なくなったアメリカは志願制に変えた。当時、女性に安定した職場がなかったため、女性にターターゲットを当て勧誘したという。当時2%だった女性兵士の割合は11%になり、後方支援だった任務は戦場派遣になった。
 現在、1万人を超える女性兵士がいる。そのうちの3人に1人が母親だ。彼女らはそれぞれにつらい苦しみがある。

アシュレイ・プレンさん      1年前イラク派遣
 育児をしながら、良い母親になれるか、私の精神状態がおかしくなり子供に悪い影響をあたえないかと悩む。

マーシー・メットカルフさん    州兵に登録しイラク派遣
 “気がつくと発砲。私の命か子供の命か、わたしは自分の命を選んだのです。殺害したのは12才の子どもでした。”
 帰還後、結婚し男の子を出産した。それはあの男の子のことを突きつけることになりPTSDが悪化。子どもを育てることすらできなくなり、家族と離れて入院治療をうけている。

ケリー・クリスチャンセンさん   州兵に登録しイラク派遣
 “私が見た死んだ人の棺、そして死んだ兵士のことが・・戦場でみた光景が突然よみがえってくるんです。”
 帰還後退役し家族4人と暮す。不安になるので外に出たがらない。家族の誘いもほとんど断って家にいる。子供達への愛情をしめすことが出来なくなったと苦しむ。
子供はいう。“どうしておかあさんがおかしくならないといけないの、・・誰かにケンカを仕掛けるような戦争が私はキライです。

ジュリア・ケリーさん 軍に就職し26年。後方任務から特務曹長としてイラク派遣
 8月、2度目の派遣を前にイラク行きを理解してほしくて子供達と話し合いをもつ。
 13才の娘は、“こんなのうんざりだわ”と心を閉ざす。
 10才の息子は“どうしてイラクにいかなきゃいけないの”と問う。母、“陸軍が決めたの”。息子、“どうして陸軍はそんなこと決めたの?”。母、“アメリカがイラクに行った理由おぼえてる?イラクに悪い指導者がいて・・イラクの安全を・・”。息子、“イラク人はアメリカ人がキライだときいたよ”。
 彼女は、一回目は子どもが小さかったから、誰かに預けて行けば済んだが、子どもが大きくなったからそういうわけにはいかないという。だがそれだけではないだろう。イラク戦争の大義が崩れ、母親は子どもにイラク戦争の意義さえ面と向かって語れなくなっているのだ。

(2008年10月25日 A.H)