シリーズ『冬の兵士――良心の告発』を観る(その8)
「私は、国旗を逆さまにしている。なぜならアメリカは今、国難に遭遇しているからだ、しかし、我々は、まだアメリカを愛している。」

 「我々は、まだアメリカを愛している」はアダム・コケシュの言葉で、「愛の力が力への愛に勝った時、平和が訪れる」という腕の入れ墨を映し出す場面とともに映画は幕を閉じます。私は、日本や米国の「愛国心」には拒否の気持ちが強く、はじめ映画を観たときはこの場面にある違和感がありました。それにもかかわらず、彼等を支え、鼓舞している「愛国心」が気になってしかたありませんでした。
 このことについて、制作者の田保寿一さんは3月22日の講演会で、以下のように語りました。
 「ここに登場するのは、9.11以降に兵士になった人たちです。反戦イラク帰還兵の会の人たちは、アメリカ社会からずっと無視されてきました。日本では、ウィンター・ソルジャーと言えばぴんと来ません。しかし、アメリカ人ならすぐにわかります。アメリカという国はイギリスの植民地でした。アメリカの人たちは独立戦争に立ち上がります。夏に始まった戦争はやがて冬になります。イギリス軍は強い。義勇軍達は負けそうになった。寒い冬の中で、もうやめようという声が出てくる。そのときひとつの檄文が飛びました。夏に闘う兵士は本当の兵士ではない、冬闘う兵士が本当の愛国者なんだ、と。それから「冬の兵士」は本当の愛国者をさすことになりました。これは、アメリカの愛国者とは何かという映画です。」
 現在の米国では、特に9.11以降愛国法などが成立し、ブッシュの政策を公然と批判することが困難な状況に陥り、イラクやアフガニスタンで戦争をすることが愛国者の行為であると煽られてきました。しかし、彼らは米国の間違った国策を変えるために、真実を明らかにする自分たちこそが真の愛国者=「冬の兵士」であるという誇りを持ってこの証言活動をおこなうようになったそうです。
 私は「冬の兵士―良心の告発」をみて、帰還兵達が、政府の攻撃や政府の味方をするマスコミに抗し、イラク戦争・占領の本当の姿を証言する活動に心うたれました。イラクで市民を無差別に殺害したこと、そういう立場に追い込まれた体験を懸命に伝えようとする姿には涙がでました。そして、反戦イラク帰還兵の会を設立し、「アメリカよ目を覚ませ」「我々は米軍のイラクからの無条件撤退を要求する今すぐに」「血も油も、もうたくさんだ」と活動する姿には勇気と希望のようなものをもらった気がします。
 田保寿一さんの話では、彼等はミニ証言集会を活発に行っていること、2009年3月19日にはドイツで証言集会をもったこと、同3月13〜14日には交戦中のイラクで行われた「第一回国際労働者大会」に2名の代表派遣をしたことなどが紹介されました。証言をした2名の代表者は、壇上に駆け上がってきた(反米の)大会代議員の1人に抱きしめられ、満場の拍手に包まれ、2名の代表者は大会の最後に「もう私達は敵ではない、この地を再び緑の地とするため共にすすみたい」と挨拶したということです。

 そのような中で、彼等の確固たる信念と、活発な活動を支えている、彼等の「愛国心」ってなんなんだろうということが、再び気になって仕方なくなりました。私は「冬の兵士」に感動し、「愛国心」が彼等を支えていると感じていましたが、さらに「愛国心」の意味を知ったことでそのことに目をつむることが出来なくなったのです。そして、文献などを当たっている内に次の文章に出会いました。それは、「真の愛国心は「人類愛の部分的な現れ」なのである」というロシアの思想家の言葉です。
 「・・だからこそ真の愛国者は、自分の民族を自慢し、褒めちぎるような絶叫を我慢できないのであり・・人類愛の部分的な現れである真の愛国心は、個々の民族に対する敵意とは共存できない。」つまり、偏狭な愛国心は、物心ついた子どもが自分こそが世界の中心だと思うように自分の国こそが世界で一番だと思っているが、真の愛国心とは、世界に視野を広げて他国の良さなどを理解することで自国を顧み、他国へも敬意をはらうようになる、というものでした。
 この一節を読み終えて、“真の「愛国心」”と“エセ「愛国心」”の違いや、それが対立し、相容れないものであることを私なりに少しだけ理解できたような気持ちになりました。そして、「冬の兵士」の言う「私は国を愛している。みなさんも愛しているでしょう。私達は国を愛している。戦争を止めよう、今すぐに」「証言者はみんな、国を愛する愛国者です、ウィンターソルジャーに来た市民もみんな国を愛しています。アメリカ精神である人間らしい国を作ること、それを、私達は目指しているのです。」という言葉を、そのままに受け入れられる気がしてきました。
 そして、「私は、国旗を逆さまにしている。なぜなら米国は今、国難に遭遇しているからだ、しかし、我々は、まだアメリカを愛している」という立場に共感を感じます。私も、「日の丸や愛国心の押し付けに抗し、この国のありようをめぐって活動を続けたい。なぜなら、この国を愛しているから」といえたらいいなと思います。今、“いいなと思う”だけなのは、日本では「国家主義」「愛国主義」の呪縛が強くてむずかしいなと思うからです。現在日本における「愛国心」が民族排外主義の同義として使われている一方で、米国ではイギリスに対する植民地戦争を闘う中で形成された概念であるという点は根本的に異なると思います。また、米国の先住民族や移民の人たちが、コケシュのように「アメリカを愛している」と言えるのかはわかりません。具体的にもっと掘り下げて問題にする必要があると思います。

 証言した帰還兵たちは、人類愛的な意味で愛国心を理解しているのだろうと思います。戦場での過酷な経験を通して、「イラクの人たちも我々と同じ人間じゃないか」「我々がアメリカを愛しているように、彼らもイラクを愛しているんだ」と思ったのではないかと思います。イラク人を蔑視して「ハッジ」「テロリスト」などと呼び洗脳された兵士達が戦地でイラクの人たちに遭遇し、全く自分たちと同じ人間であること、家族を大切にし、生まれた家を愛し郷土を誇りにしている人たちなんだということを知るようになったのではないかということです。それは、アダム・コケシュの「もし自分が17歳でイラク人だったら、占領軍を自分の国から追い払うため武器を手に取らないかもしれないが、自分のとるべき立場はわかる」という言葉につながるのではないかと思います。
国旗を逆さまにして闘う「冬の兵士」を支える「愛国心」について、私達の住む「この国のありよう」についていろいろな人の考えをきいてみたいです。

2009年6月2日
リブ・イン・ピース☆9+25 A.H.