[パンフレット]
ガザ大虐殺とイスラエル・アパルトヘイト

 ――その「完成」と行き詰まり――

2009.6.5.発行 カンパ500円
 これは、昨年末から今年初めにかけて起こったガザ大虐殺とイスラエル・アパルトヘイト体制を批判したパンフレットです。
 私たちは、2000年9月末の「第二次インティファーダ」がはじまったころから、パレスチナで起こっていることを必死にとらえようと努力してきました。2002年3〜4月の西岸大侵攻のころからは、特に「反占領・平和レポート」という形で、パレスチナの現状と闘いをレポートしてきました。今では60号に達しています。パンフレットにはその中から、「リブ・イン・ピース☆9+25」のサイトに掲載された最近の5本と、これまでに「アメリカの戦争拡大と日本の有事法制に反対する署名事務局」のサイトに掲載された4本の論説とを合わせた計9本を掲載しています。
 パンフレットは2部構成で、第T部は、08.12.27〜09.1.17のガザ大虐殺を、 第U部は、「イスラエル型アパルトヘイト体制」に焦点を当て、歴史的経緯がよくわかるように厳選しました。
 このパンフレットが、パレスチナ連帯闘争に貢献することを願うものです。

カンパ500円 2009.6.5.発行
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E-mail info@liveinpeace925.com
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2009年6月15日
リブ・イン・ピース☆9+25

(旧アメリカの戦争拡大と日本の有事法制に反対する署名事務局)

リブ・イン・ピース☆9+25のパレスチナ関連のページ
旧アメリカの戦争拡大と日本の有事法制に反対する署名事務局のパレスチナ関連のページ


パンフレット目次

〔はじめに〕全世界で持続するパレスチナ連帯と反「イスラエル・アパルトヘイト」の闘い

I部 2008.12〜2009.1ガザ大虐殺

■反占領・平和レポート NO.56(2009/1/28)・・・ ガザの大虐殺を生み出したマッド・ボス作戦

■反占領・平和レポート NO.57(2009/2/10)・・・ガザ地区150万人の生存まで脅かす封鎖を即刻解除せよ
 ――06年1月パレスチナ立法評議会選挙でハマスが圧勝して以降の諸過程――

■反占領・平和レポート NO.58(2009/2/16)・・・ イスラエルによるガザ封鎖と飢餓戦略の新しい段階

■反占領・平和レポート NO.59(2009/2/24)・・・ ハマス=「テロ組織」の虚像を垂れ流すマス・メディアと西側諸国を批判する

■反占領・平和レポート NO.60(2009/4/20)・・ イスラエルにおける右翼リクード連立政権の誕生と、国際的なBDS運動の拡大

II部 イスラエル・アパルトヘイト

■反占領・平和レポート NO.30 (2003/5/26)・・ イスラエル型アパルトヘイト体制=“陸の孤島”への「ロードマップ」
 ――米・イスラエルはパレスチナ内戦を要求している――

■反占領・平和レポート NO.40 (2004/6/18)・・ シャロンが政権延命の手段として持ち出し弄んだ「ガザ撤収案」

■反占領・平和レポート NO.44 (2006/2/10)・・・・・ 1/25パレスチナ立法評議会選挙 屈服を拒否したパレスチナ人民

■論説:レバノン侵攻におけるイスラエル敗北の軍事的・政治的意義
 ==米・イスラエルによる中東覇権の行き詰まりと破綻(2006/9/10)・・・・・・・


〔パンフレット はじめに〕
全世界で持続するパレスチナ連帯と
反「イスラエル・アパルトヘイト」の闘い

 昨年末から今年はじめにかけてのイスラエルによるガザ大侵攻(08.12.27〜09.1.17)は、その戦争犯罪の大きさ、露骨さにおいて類を見ないものである。国際的な報道関係者を閉め出して用意周到に行われたが、そのリアルな実態は、侵攻の当初からインターネット等を通じて様々な形で報じられ、覆い隠しようのない悲惨な現実として全世界に大きな憤激を巻き起こした。それをきっかけとしてイスラエルに対する批判がかつてなく顕著になり、反「イスラエル・アパルトヘイト」闘争が全世界的に高揚しはじめた。それは、持続的なものとして日常的に闘われ始めている。そこにおいては、かつての南ア・反アパ闘争が意識され、引き合いに出され、かつてと同様の「BDS(Boycott, Divestment, Sanction ボイコット、投資引き揚げ、制裁)闘争」も広まっている。
※「イスラエル型アパルトヘイト体制」の具体的内容をできるだけ簡潔に要約すれば次の通りである。−−パレスチナ自治政府にゆだねられる地域は陸の孤島のように存在する地域に限られ、その周囲はすべてイスラエル領土によって取り囲まれている。水資源をはじめとする重要資源をイスラエルが管理し独占している。パレスチナ自治区には重要産業はとぼしく、多くのパレスチナ人は、国際的な支援と海外のパレスチナ人からの送金とイスラエル領への出稼ぎに依存せざるをえない。ヒトとモノの流れはすべてイスラエルが管理している。警察はあっても軍はないパレスチナ政府に対して、イスラエルの圧倒的な軍事力が常に監視し、いつでも武力弾圧に出動できる状況にある。

 イスラエルによるパレスチナ支配が「アパルトヘイト体制」であるという認識は、これまでは、パレスチナ問題にとりくむ限られた人々の間にしかなかった。それが、今回のガザ大侵攻をきっかけに全世界的に急速に広がり、論じられ、非難されるようになってきているのである。
 だがそれは、イスラエルによるガザ人民150万人に対する、ホロコースト的ともいえる封鎖と殺戮のエスカレーションによってもたらされたものである。奴隷的労働力としておとなしく従っている限りでは生かしておくが、反逆するなら抹殺するという、許し難い暴虐が行われている。パレスチナ人民、とりわけハマスのもとに結束したガザ人民は、屈服を拒否し人間的尊厳を主張したことの代償として、生存そのものを脅かされる封鎖をイスラエルから受けているのである。「イスラエル型アパルトヘイト体制」は、完成に近づくと同時に行き詰まっている。イスラエルは、圧倒的な軍事力によるやりたい放題の大虐殺とホロコースト的な封鎖によって、奴隷として生きるか反逆を続けて死ぬかをガザ人民に迫っている。そしてそのようなイスラエル政府の対応を、米国・EUをはじめとする「国際社会」が支持している。それに対して、全世界の人民の憤激が、反イスラエル・アパルトヘイトという形で噴出しているのである。

 イスラエルでは2月10日に総選挙が行われたが、その結果について様々な議論が巻き起こっている。「中東和平」に反対する右翼諸党派が120議席のうち65議席を占め、極右が台頭し労働党が衰退した。選挙直後から、Gush Shalom、The Electronic Intifada、Workers Worldなどの有力サイトで「イスラエルのファシズム化」への警鐘が鳴らされ、持続的なBDS運動の必要性と強化が呼びかけられている。また、「中道左派・シオニスト左翼の崩壊・消滅」の危機が論じられている。
 今回の「ガザ戦争」は、イスラエル国内では圧倒的な支持を得て行われた。イスラエルの世論調査では、90%以上が戦争を支持し、80%以上が早期停戦に不満だったと報じられた。(イスラエル国民の2割はアラブ・パレスチナ人で、世論調査はユダヤ人のみを対象としたものと思われる。)そのようなイスラエル社会全体の右傾化は、2月10日の選挙に端的に反映した。「和平」そのものに反対し、国内のパレスチナ人の放逐、暴力的占領体制の維持、入植地の急速な拡大などを、公然と主張する右翼諸党が大幅に勢力を伸ばした。ファシストのリーバーマンが率いる「イスラエル我が家」が15議席を獲得して「カディマ」、「リクード」に次ぐ第三党にのし上がり、ネタニヤフ連立政権で重要な位置を占めた。経済危機の深刻化のもとで、イスラエル社会の下層の多くが右傾化を支持するという状況が現れ、イスラエル社会全体のファッショ化が進行している。その中で、ガザ人民に対するホロコースト的な封鎖が行われているのである。
 それと対照的に、労働党とメレツ党は、議席を19から13へ、5から3へと減らした。両党は、かつて「オスロ合意」の下での「中東和平」が始まろうとしていた1992年には、あわせて56議席あったのだが、今では崩壊の危機に陥っている。「中東和平」の推進主体となってきた「中道左派・シオニスト左翼」の労働党とメレツ党は、第二次インティファーダが始まったころから急速に大政翼賛化していき、特にシャロン政権が成立して以降は、連立政権に加わることを含めて後についていくことしかできなかった。シャロンが「アパルトヘイト体制」を安定させるための「和平」(=「一方的ガザ撤収」など)を追求してカディマ党を結成してからは、それと区別するところがなくなってきていた。今回の選挙では、カディマ支持者の右翼的部分が右翼諸党の方へ流れ、労働党とメレツ党の右翼的部分がカディマに流れた。そのような状況のもとで、新たな左翼の結集が客観的に求められている。その模索はようやく始まったばかりであり、まだ具体的な形をとって現れるところにまでは至っていない。

 私たちは、2000年9月末にはじまる「第二次インティファーダ」によって、90年代を通じて進行した「オスロ合意」の諸過程がまやかしの「和平」であることに気づかされた。そこにおいて構築されてきたものは、まさに「イスラエル型アパルトヘイト体制」に他ならなかった。
 「第二次インティファーダ」は、「和平」のまやかしを全世界に告発すると同時に、パレスチナ自治政府のもつ二つの側面をも浮き彫りにした。それは、「イスラエル型アパルトヘイト体制」の番人になりさがっていく側面と、イスラエルによる占領との闘い、独立国家をかちとるための闘いの拠点となるという側面である。「第二次インティファーダ」の始まりは、闘いの拠点という後者の側面を一挙に強めた。その結果、イスラエルは2002年3〜4月に西岸地区へ大侵攻し、アラファト議長を幽閉して、反占領闘争の拠点となりうる所をしらみつぶしに破壊しようとしたのである。
 私たちは、このころから「反占領・平和レポート」という形で、パレスチナの現状と闘いをレポートし始めた。それ以外にも、数多くのパレスチナ連帯闘争の呼びかけを行い、また論説も公表してきた。それらの中から、現在のパレスチナ連帯闘争の最大の焦点となってきている「イスラエル型アパルトヘイト体制」について明らかにしたものを中心に、パレスチナ問題の本質を理解し現状を正しく評価する上で不可欠だと思われるものを厳選して、パンフレットの形にまとめることにした。現状は、「イスラエル型アパルトヘイト体制」の行き詰まりとエスカレーションの過程が進行中であり、固定的にとらえることはできない。これまでの諸過程を的確にとらえること、現状を注視していくことが必要である。

 ここに収録したものは、「リブ・イン・ピース☆9+25」のサイトに掲載された最近の「反占領・平和レポート」5本と、これまでに「アメリカの戦争拡大と日本の有事法制に反対する署名事務局」のサイトに掲載された「反占領・平和レポート」を中心とした4本の論説とを合わせた計9本である。今の時点からみて訂正・加筆しなければならないと感じた箇所には、今回の編集に際しての註であることを明記して書き加えた。以下に、収録した論説の概略を簡単に述べ、重要な訂正・加筆についても指摘しておく。
 第I部は、08.12.27〜09.1.17のガザ大虐殺を扱っている。ガザ大虐殺は、イスラエル型アパルトヘイト体制の新しい段階を表している。それは、封鎖によるパレスチナ人の奴隷支配から、「ガザそのものの抹殺」を狙う恐るべき政策への転換である。
 NO.56は、「マッド・ボス作戦」という、パレスチナ人民を見境なく虐殺しまくる軍事作戦がイスラエル国民の圧倒的支持を得て遂行される道徳的崩壊といもいえる状況を、ウリ・アヴネリ氏の論説を通して明らかにしている。NO.57は、06年1月パレスチナ立法評議会選挙でハマスが圧勝して以降の封じ込めの経緯を、NO.58は、封じ込め戦略、「飢餓戦略」の新しい段階を、NO.59は、ハマス主敵論を垂れ流すマスメディアと主要国政府の批判をそれぞれ論じた。そして、NO.60は、イスラエルでの右派政権の誕生のもとで国際的に拡大するBDS運動の広がりを論じた。
 第II部は、歴史的経緯がよくわかるように厳選したものである。はじめの「反占領・平和レポートNO.30」(2003年5月)は、イラク戦争の直後にブッシュ政権によって意気揚々と発表された「ロード・マップ」を批判し、その際、あわせて「イスラエル型アパルトヘイト体制」について詳しく明らかにしている。その中で、今の観点から補足訂正を加えたところが一箇所ある。2002年3〜4月のシャロンの西岸侵攻について、「再び直接統治へ歴史的に引き戻そうとした」と評価していることについてである。シャロンや軍首脳の主観的な意図はそうであったかもしれない。しかし客観的には、反占領闘争の拠点をたたきつぶした上で「イスラエル型アパルトヘイト体制」を完成させようとする方向へと事態は進んだ。それを新たな註として加えた。次の「NO.40」(2004年6月)は、シャロンのガザ撤収案を評価し批判したものである。「ガザ撤収」は全くのまやかしであり、「青空監獄」として管理しようとしただけであることは、今となっては白日の下にさらされたが、それを当時の時点で明らかにしたものである。この「NO.40」のころ、さまざまな反占領闘争、反戦平和運動、兵役拒否運動などの中に、当時はうかがい知ることができなかったひとつの注目すべき動きがイスラエル国内に生じていた。第二次インティファーダがはじまって以降、とりわけ2002年3〜4月の西岸地区への大侵攻以降の自分たちの兵役体験を赤裸々に語り、イスラエル社会全体に重大な問いかけをした青年たちの運動がはじまっていた。彼らは当初、イスラエルの恥を諸外国に晒したくないと考え、外国人からの取材を一切拒否していたので、当時はとらえることができなかったのである。これも新たな註として書き加えた。(詳しい内容は、「リブ・イン・ピース」のサイトで紹介している「普遍的な“占領”の本質をえぐり出す/紹介:『沈黙を破る』」参照。)
 3つ目の「NO.44」(2006年2月)は、パレスチナ立法評議会選挙でのハマス圧勝が意味するものを明らかにし、解説したものである。アッバス体制のもとでファタハが「イスラエル型アパルトヘイト体制」の番人になりさがろうとしていることに対して、パレスチナ人民が「ノー」をつきつけた。今回のガザ大侵攻にいたる過程の直接の発端である。ハマスの方は、人民の福利・厚生・医療の方面で長年おこなってきた活動を通じて人民の中に根をはり、難民の帰還権を含むパレスチナ人民の正当な権利を一歩も譲らない姿勢も高く評価され、人民の支持を大幅に拡大した。4つ目の論説は、2006年8月のイスラエル軍によるレバノン侵攻(第二次レバノン戦争)の意味を明らかにしたものである。ここでは、ブッシュ政権の衰退とオルメルト政権の苦境が考察され、さらに、中東の人民大衆の中に反米・反イスラエルの機運がかつてないほど台頭してきて、歴史的な大変動の時代に入ってきていることが明らかにされている。
 その後2007年6月に大きな転機がおとずれる。イスラエルと米国はハマスにファタハをけしかけ、系統的に対立を煽ってきたが、オルメルト政権がレバノン侵攻の失敗の責任を追及されて崩壊の危機に直面した5月に、ハマスの大量拘束とハマス拠点への空爆を行い、ファタハへの支援を強化し、ガザ地区でのハマスとファタハの内戦を煽ったのである。しかし、腐敗に染まったファタハ系の治安組織は、人民の支持を得て士気の高いハマスの治安組織によって壊滅させられた。「第二のガザ解放」である。この後、イスラエルによる封鎖が一段と厳しさを増した。だが、ガザの人民は屈服せず、一年以上の膠着状態で手詰まりに陥ったイスラエルは、軍事力による大侵攻へと突き進んだのである。このあたりの経緯はNO.57で特に整理して示している。
 なお、紙数をできるだけ少なく抑えるために、翻訳を大幅にカットした。さらに、今となっては必要なしと考えられる註は削除した。また、表記や語句の明らかな誤りは訂正した。イスラエルの度はずれな暴虐に対して、南ア・反アパ闘争に匹敵する歴史的な大闘争が全世界的に展開されはじめた時にあたって、パレスチナ連帯闘争の有力な武器になることを願って。

2009年5月
リブ・イン・ピース☆9+25