[転載]日本軍「慰安婦」被害者の声に応え今こそ立法解決を!
〜同時証言集会inおおさか2009〜

姜日出ハルモニ「死んでも私の恨(ハン)を解きたい」と訴える


 2009年11月28日、大阪北区民センターにて、日本軍「慰安婦」被害者をお招きしての証言集会が開催されました。ゲストは、韓国ナヌムの家より姜日出(カン・イルチュル)ハルモニと、同歴史館の研究員として唯一の日本人男性スタッフとして働く村山一兵さんです。姜日出ハルモニは16歳の時「慰安婦」として連行され、解放後も中国に留まり苦労をされた後、2000年になってやっと韓国に帰国されたという方です。
 400人を超える集会参加者はみな、ハルモニの話しに心を打たれ、今後私たちは彼女たちのために、そして私たち自身のためにも、何をしなければならないのか考えさせられました。
 それほどに姜日出ハルモニの証言は、大変衝撃的でした。証言の内容もさることながら、その感情、そして存在感が参加者の心を打たずにはおれませんでした。おそらく何度も人前で証言されてきたハルモニですが、当時のことを思い出すと未だに平静ではおれない様子でした。興奮して同じ事を何度も繰り返し、また発言内容が脈絡もなく飛んでしまう様子は、被害体験がもたらした深い傷を思わせました。
 ハルモニは父母に何も告げないまま連行され、2000年に帰国したときにはもうその姿はありませんでした。16歳で別れたきりの父母を思い、お酒を見るたびにそれを好きだった父親を思い出し「なんとしてでもこの恨(ハン)を解きたい」と訴えられました。「恨を解くためには、日本政府の謝罪が必要なのだ」と。
 また日本軍人の相手をするたびに血が出たことを証言され「この話は誰にもしてません。これがどういうことだか分かりますか」と問いかけられました。被害体験を証言することがどれほど辛く勇気のいることか、そしてなぜそれを未だに必要とし、私達はそれを強いているのか。それを思うととても辛くなりました。被害体験を具体的にあれこれというわけではなかったのですが、むしろ、その一言だけで十分でした。だって私達は彼女の身に何が起こったのかすでに知っているし、その傷みを理解したいと思う想像力を持ち合わせているのですから。
  ※恨(ハン):朝鮮民族にとって単なる怨みつらみではなく、長い屈辱と苦痛の歴史を背景に痛恨・悲哀・怒りなどが積もった独特な感情。

 村山一兵さんからは、なぜ日本人男性がナヌムの家で働いているかということを講演されました。男性であること、日本人の男性であることを、この問題との関わりで話ができるのは彼しかいません。それはちょうど会場の外で抗議のシュプレヒコールを挙げている連中の醜悪さの対極でもありました。(集会の外では「在日特権を許さない市民の会」という差別排外主義団体が20名ほどで、書くのもおぞましいような差別的な言葉で抗議行動をおこなっていました。)
 特に文必璂(ムン・ピルギ)ハルモニのお話がとても衝撃的でした。文必璂ハルモニは村山さんと一緒にお酒を飲んではすぐ赤くなる村山さんをからかったり、村山さんが仕事を忙しそうにしているときは身体を気遣ってくれる、とても優しいハルモニだったそうです。
 そんな文必璂ハルモニがナヌムの家で証言をし日本人の客を見送った後、床に座り込んでしまったことがあったそうです。我を失った様子で、聴き取れない小さな言葉で「なんでこんなに」「私も人間なのに」と呟いていたそうです。証言が慰安所の出来事を急によみがえらせ、身体の自由を奪ったのです。身近にいた村山さんは、そういうハルモニたちの傷に接し、自分を問わざるを得ませんでした。なぜ男性なのか。なぜ日本人であるのか。日本人の男性である私に何をできるのか?
 村山さんは「日本人であること、男性であることと向き合うことが大事。そして一歩踏み出すことが大事」と訴えられました。女性たちの受けた被害を「慰安」という言葉に言い換えている社会を何とかするためにも、日本人の側、男性の側が自分を問い続けることが必要なのです。
 ナヌムの家でも証言できるハルモニは二人しかいないそうです。高齢のため、あるいは心の傷のために。私達には時間が残されていないのだと、何度でも実感させられます。

 集会には市民だけではなく、関西の各地で市議会意見書を可決させた、あるいはそれを実現させようとしている関西の市議会議員が多数参加されました。宝塚市をはじめとして、生駒市、泉南市、豊中市、吹田市、枚方市の市議会議員の方々が駆けつけてくださり、メッセージをいただきました。各議会でも様々な苦労を重ねながら、立法解決や正しい教育の実現のためにがんばっておられることを知り、とても勇気づけられました。また私たちの社会が変わることができる、解決を実現することができるのだという確かな手応えを感じました。(その他、多くの国会議員・市議会議員からも電報などのメッセージをいただきました。)

 集会の最後に実行委員会から、「緊急120万人署名を取り組んで欲しい」と提起されました。

 集会終了直前、花束贈呈を前にして姜日出ハルモニは「まだ話したいことがある」と堰を切ったようにしゃべり出しました。それは右翼がよく持ち出す「お金をもらっていた」ということに対する批判でした。
 「なぜ彼らはそんなことを言うのか。私はお金なんてもらっていない。お金をもらっていたのなら、なぜ解放後も中国に残ったまま苦労をしなければならなかったのか!」
 もらっていたかもらってなかったかが問題なのではありません。「もらっていなかった」とハルモニが声を震わせ反論することが重要なのです。「お金をもらっていたじゃないか」という理屈が、被害者たちの体験と存在そのものを否定する、セカンドレイプそのものなのですから。
 ハルモニが存在するということ、語るということこそが、歴史の真実そのものなのだということを改めて実感させられました。

 ハルモニは証言の中で、こうも仰いました。
 「小泉首相や安倍首相はとても酷い人だったと思います。特に安倍首相のおじいさん(岸信介)はアジアに対してとても酷いことをしてきた人です。鳩山首相にとても期待しています。日本の政府にはしっかりして欲しいです。」
 鳩山政権の評価はさておき、被害女性の期待はこれまでになく高まっています。村山政権も含め、歴代自民党政権が壁となって解決を拒んできたこの問題に、やっと転機が訪れたのです。しかも被害女性が次々と亡くなられ、自分たちの時間もそう長くないのだということを痛感させられているのです。
 それはこの問題の解決を望む私たちにとっても同じ事です。
 「死んでも私の恨を解きたい」
 そう願うハルモニの心に向けて「生きているうちに恨を解いてもらいたい」「亡くなられたハルモニたちの恨も解いてさしあげたい」と、思わずにはおれません。何としてでも被害女性の望む形で問題を解決せねばなりません。それも一日も早く!
 それは日本に住む私たちにしかできないことですし、私たちの責任で実現しなければならないことなのです。なんとしてでも解決を実現させましょう!

 <姜日出ハルモニ証言>
 みなさま忙しいなか来ていただいたことに感謝します。歴史のことを学びに来てくれたことに感謝します。あの歴史の出来事を言おうとするとなかなか辛いのですが、これからの若い世代のために、もう二度とああいうことがないように、歴史の真実を知っていただけたらと思います。
 私はもう81歳になりますが今回こちらに来て在日同胞や日本のみなさんに来ていただいて、本当に嬉しく思います。

 私の名前は姜日出(カン・イルチュル)と申します。私はまだ17歳の頃、大人になる前に連れて行かれました。(数えの年齢と思われます。)軍隊ではなくて、日本の警察が来て、無理矢理連れて行かれたんです。そのときたまたま家には誰もいませんでした。連れて行かれるときにはどこに連れて行かれるのか分かりませんでした。
 なぜ日本は私を無理矢理連れて行ったのでしょうか。母にも何も告げられないまま、連れて行かれました。当時は38度線がなかったので、そのまま中国まで連れて行かれました。私はちゃんと人間なのに、列車では荷物のように扱われ、「慰安所」に連れて行かれて被害を受けました。そこで辛く苦しい思いをしました。殴られた傷は今でも痛みます。
 私は文必?(ムン・ピルギ)ハルモニと同じ中国の「慰安所」にいました。私は中国から2000年になって帰ってきたのですが、ある時韓国での集会で久しぶりに文必?ハルモニと再会しました。そこで私がナヌムの家に暮らしているので、後から彼女もナヌムの家に来たのです。
 その「慰安所」の中には、北海道出身の日本の女性もいました。その女性も一緒に解放を迎え、その後もお互いに交流がありましが、胃ガンで亡くなってしまいました。私はとてもショックでした。彼女が故郷の日本で亡くなったのではなくて、遠い中国の地で亡くなったからです。

 当時私は犬のように連れて行かれました。でも犬だってどこかに連れて行かれるときには行き先を告げられるでしょう。私は人間なのに、行き先も告げず連れて行かれたんです。父にも母にも何も言えず、故郷に帰ることも出来ません。父母が亡くなったことは後になって知りました。特に父はお酒がとても好きでした。だけど私はお酒を飲めません。お酒を見ると父を思い出し、父にお酒をあげられなかったこと、なんの世話も出来なかったことが心に恨(ハン)となってわだかまっているからです。
 韓国に戻ってきて故郷を訪ねました。兄も、父も母ももういませんでした。家族はみんな亡くなっていました。それが私の恨になっています。そんなたくさんの辛いことが恨になっていて、苦しいです。もし私が死んだとしてもこの恨はなんとか解きたいと、そう思うんです。恨を解くためには、謝罪と賠償が必要です。

 日本政府は自分の国民のこともしっかりできない本当に酷い政府です。前に大阪に来たときに、ホームレスの人を見ました。なんでそういう人を日本政府は助けもせず放っておくのでしょうか? 私は部屋に帰って独り泣きました。同じ人間であるし、生活が苦しくてそうなっているのだろうから。なんで日本政府は彼らを支援しないのでしょう。本当に酷い国です。
 当時日本はアジアの人々に被害を与え、韓国の女性を多く連れて行きました。慰安所では女性が死んでいったのを見ましたし、本当に幼い人もたくさんいました。このことは私は本当に誰にも言えないことなんです。その事を言うのは本当に辛いんですが、軍人達の相手をした後トイレに行くと、血が出るんです。どういう意味か分かりますか? 決心をしなければ言えません。日本のみなさん、どういう意味か分かりますか? 在日同胞のみなさんも、このことがどういう事か分かりますか? とても幼い女性が多かったんです。下からとてもたくさん血が出ました。このことは誰にも言えなかった。心の中にしまって、泣いてきたんです。この恨を解くためにも、日本政府には謝罪して欲しいです。

 日本の政府は責任をちゃんと取らないで、国民のせいにしています。国民からお金を集めてそれを国民基金としてお金をわたすとか、それはおかしな話です。
 ある人はもらったりもらわなかったりで、とても人の間に亀裂がおきました。私はもらいませんでしたが。日本政府はなんでこんなことをしてしまったのでしょうか? その原因をちゃんと考えて欲しいです。このことは日本にとって恥ずかしいことです。
 何とか私たち被害者が亡くなる前に謝罪をして欲しい。お金ではありません。謝罪をちゃんと受け取ることが大事なんです。中国とか韓国とかともう戦争をしない関係にして欲しい。もう二度とこういう事が起こって欲しくない。だからちゃんと謝罪をして欲しいんです。

 私だけではありません。先ほど話したように、中国に取り残された日本人の「慰安婦」もいます。そんな歴史もあるのに、日本は正しく歴史を教えようとしません。キチンと教えて欲しいです。
 小泉首相や安倍首相はとても酷い人だったと思います。特に安倍首相のおじいさんはアジアに対してとても酷いことをしてきた人です。何でまたあの戦争を繰り返そうとするんでしょうか。また若い人を殺すのでしょうか。とてもそれが許せません。韓国の国民は鳩山首相にとても期待しています。日本の政府にはしっかりして欲しいです。

 みなさん忙しい中きてくださって、ありがとうございます。今日はここにいる日本人や在日同胞に話しをするためにここに来ました。でもあの頃の話をすると、本当に心が苦しくなって、破裂してしまいそうです。とても辛いのですが、聞いていただいて嬉しかったです。

 (集会の最後、市議会議員の発言を受けて、ハルモニはどうしてもいいたいことがあると話されました。)

 (とても興奮して)心ない日本の市民から「お金をもらっていた」という言葉を聞くが、これはとてもおかしい。私は一銭もお金をもらったことはありません。なのになぜそんなことを言うのでしょうか? 私は中国に残されてそこの生活でも苦労したのに。ないことを言うのはすごく許せないです。ウソをついて、被害者を貶めている。被害者がウソをついているように言われる。がまんがなりません。
 それなら朝鮮の女性たちを戦場に連れて行っていいんでしょうか? 一日に何人もの兵隊の相手をさせられました。痛くて下から血が出たんです。それを私は言えなかったのに、もう一度言わなければいけないんですか。とても痛かったんです。
 昔、高知に行ったときに、ダム工事でたくさんの朝鮮人男性が死んだことを知りました。働かせてご飯もあげないで、骨も埋まったまま。日本人はお骨収拾とかするのに、朝鮮人の骨は返そうともしない。日本人には父母がいて、韓国人には父母がいないとでもいうのでしょうか?! よく考えて欲しい。同じ人間のはずなのに。
 お金をもらっていないのにもらったように言われるのはとても許せない。中国で解放を迎えて生きていくときにも、貧しく苦しい生活をして、靴がやぶれ裸足で歩いた。お金があったら故郷に帰って来れただろうに。そんな酷いことは言わないで欲しい。
 ここにいる人たちはいい人だと思います。みなさんに行っているのではなくて、少数だとは思いますが「なかった」とか「お金をもらった」とか、そういうことをいう人が日本にいるのが許せないのです。
 じゃあ韓国で仮に戦争が起こって、日本の男性を戦場に連れて行き、日本の女性をそういうところに連れて行って、そして韓国が謝罪も賠償もしなかったら、日本の人々はどう思うんでしょうか。自分の娘とかがそうなったら、どう思いますか。そういう酷く辛いことをしているのだということを分かって欲しいです。
 先ほどの市議会の方々の話には感動しました。でも心ない少数の人の意見であっても、すごくすごく辛いのです。自分たちが酷いことを言っているのだということを分かって欲しいです。

「慰安婦」決議に応え 今こそ真の解決を!より転載)