[緊急報告会]
沖縄県民大会の参加報告と普天間問題 @カフェ報告

 11月21日午後、大阪市住吉区の浅香人権文化センターで、リブ・イン・ピース☆9+25の主催で、“[緊急報告会]沖縄県民大会の参加報告と普天間問題”を行いました。14人が参加しました。11月8日の県民大会参加者よりまず映像を使って、辺野古座り込みの参加、宜野湾市の沖縄国際大学への米軍ヘリ墜落事故現場へのフィルドーワーク、県民大会参加、東村高江のヘリパッド建設予定地座り込み参加などについての報告がありました。
(当日の詳しい報告レジュメは以下に掲載)

困難の中で粘り強く闘われている座り込み闘争
 報告者が、東村高江・やんばるの森の自然の中に入りカフェ「山甌(やまがめ)」で食事をした話などをした上で、座り込みについて“緊迫感よりも、天気もよく人も少なかったので、まるで自然浴をしているようで眠たくなった”と感想を述べたところ、参加者の一人の沖縄出身の若い女性が「座り込みは体力的に大変で、それを続けてきた高齢の方が亡くなりつつあるので、座り込みが出来るものが減ってきている」と、やんわり本土の感覚の「甘さ」を指摘されました。その女性は大阪に来てからも3ヶ月に一回は辺野古に座り込みに行っているといい、「辺野古の座り込みに行くたびに、いつも居たオジイやオバアが居なくて、後で亡くなったと知って、いかに過酷なことを強いていたのかがわかりました」。また辺野古の座り込みでは、「海岸から紫外線が当たって、やけどをした状態になっていました」「ボーリング調査阻止闘争の時は、カヌーで、参加者にオバアの弁当を運びました」「キャンプ・シュワブの鉄柵をかいくぐって、犬は入っていくのに、人は入れない、犬っていいなと思いました」などと、座り込みや現地の闘争についてのとてもリアルな話を聞くことができました。今辺野古で座り込みをやっているのは辺野古や沖縄の各地から支援に駆けつけている10人ほどだそうです。辺野古座り込みについて、その場の様子や雰囲気だけでなく、闘っている人たちの苦労などを沖縄出身の方から聞けてとても良かったです。

沖国大の米軍ヘリ墜落現場で、改めて基地の危険を考える
 報告者から、米軍ヘリが墜落した時に燃え焼け残った木の写真などが紹介されました。さきほどの沖縄出身の女性は、沖縄国際大学への米軍ヘリ墜落事件の時、たまたま沖縄国際大学の方向へ車で向かっていたといいます。「沖国大の友達から「今ヘリ墜落した」という連絡を受け、「エー何それ?!」という感じで現場に駆けつけたが、付近に立ち入ることができなかった。」「『米兵の操縦技術が高かったので民家に墜落しなかった。』という小泉の発言を聞いて、このまま沖縄に住んでいたら殺されてしまう。」と危機感をもった」などと話された。また、「赤ちゃんを避難させた母親が、部屋を無茶苦茶に壊されたので、直してほしいと防衛省に言ったら、直した分の領収書を持ってこいと言ってきた。お金がなくて、直すこともできませんよ」と。所得水準も低い沖縄の人に家を修理するお金なんてない。自らが引き起こした事故について、賠償ではなく、被害者に修理させてその修理費をあとから実費で払ってやるという傲慢で無責任な対応に、参加者はみんな怒りました。

最後に寄せ書き。大阪でも、継続した取り組みを続けていきたい
 そして続けて、「民主党政権になってから、沖縄の基地問題が全国区になったので嬉しい。大阪でもこのように基地問題について話し合われているのを知って勇気付けられるし、もっと沖縄の人が頑張らないといけないと思う」と語られました。
 また「基地がなくなったら沖縄の人が生活に困る」というような宣伝がなされているが、それは悪質なプロパガンダだと語りました。返還されても那覇の新都心のように成功し、いまでは繁華街になっている例もある、困るかどうかを決めるのは現地の人であって、まず返還してから考えることだ、返還してから困ったら政府は何か手を打てばよい、「基地がなかったら困る」などと言うのは政府や本土の人間が言うことではない、そんなことを言われるのは腹が立つ、という発言もありました。
 最後に、現地で闘っている人たちへ励ましの寄せ書きをしました。私たちが沖縄問題に取り組んだのは今回が初めてです。大阪でも、継続して取り組みを続けていきたいと思います。

2009年11月24日
リブ・イン・ピース☆9+25


辺野古向け寄せ書き

高江向け寄せ書き



[11/21当日配布・報告した資料]
11/7,8,9 辺野古への新基地建設と県内移設に反対する県民大会への参加と、辺野古座り込みへの参加、宜野湾市の沖縄国際大学への米軍ヘリ墜落事故現場へのフィールドワーク、東村高江のヘリパッド建設予定地座り込みへの連帯などの報告

リブ・イン・ピース☆9+25 KB

(時系列でざっと報告します)

11/7(土)
・関西空港早朝7時10分発 那覇空港9時半到着、到着ロビー売店で当日の沖縄タイムスを購入。「神奈川県知事 辺野古案推す」、「県外移設は不可能」、「厚木基地の艦載機岩国移転念頭 再編遅れを懸念」、仲井真氏「県内やむなし」などの見出しが一面に躍っていた。
 (私のコメント)これは無茶苦茶だ。県民大会前にこれを出し、ぶちこわそうとするのか。仲井真知事は訪米の出発前に「1ミリでも普天間基地移設を動かす交渉を粘り強く行っていく」と言っておきながらである。(NHKテレビニュースより)
・その沖縄タイムスで、今日嘉手納町民大会、統合案に反対決議へと見出しがあり、大会にも注目したいと思った。 


飛行機の窓から見た沖縄・辺野古


座り込みのテント 11/7で2029回目に
・9時半に那覇空港でピースニュースA氏と合流。車で、辺野古座り込みへ参加するため、一路出発。南風原南インターから、沖縄自動車道に入る、片側2車線あり、走りやすい。
 宜野座インターを降り、国道を走り、午前11時26分辺野古漁港に到着。座り込みテントへ向かう。
・テントに到着。テントには、10数人が詰めていた。その中にはA氏が連絡した“基地を許さない女達の会”のYさんがいた。Yさんには宜野湾市の沖縄国際大学への米軍ヘリ墜落現場の案内をお願いしていた。さらには、“海上ヘリ基地建設反対・平和と名護市政民主化を民主化を求める協議会”(略称:ヘリ基地反対協議会)代表委員の安次富浩さんがいた。安次富さんに、私たちが取り組んでいる日本軍「慰安婦」問題の集会のチラシと「リブインピースだより」を渡した。

オバアの弁当
 安次富さんは、それを見て、「冬の兵士が那覇の芸術劇場に来ていたことはしていたがいくことができなかった」と残念がっていた。テント内にはいろんなチラシやポスター、書籍、絵はがきなどを売っていた。座り込み参加者用に「オバアの弁当」が、事前に連絡すれば用意されていた。値段は300円と非常に安く、焼いた鶏肉と野菜がご飯の上にあふれるほど乗っていて栄養満点、ボリュームたっぷりだった。座り込み参加者から、「民主党政権になってから、NHKが取材に来るようになった。今朝は中東アルジャジーラが撮影に来ていた。昨日の爆笑問題の番組どうだった?太田君にはしっかり伝えてよと言っておいたけど」など話してもらえた。テント横には、黒字に黄色抜きの「民意はNO」とでっかい看板が置かれていた。目の前にはコバルトブルーの海、何故自然の宝庫に基地なんか造るのか、怒りがこみ上げずにはいられなかった。

  
キャンプ・シュワブとの境界の有刺鉄線に付けられたリボン

・キャンプ・シュワブ沖の建設予定地の状況がどうなっているのか、大変気になっていた。座り込みに参加していたフォトグラファーの山本英夫さんに案内してもらうことができた。山本さんは「週刊金曜日」などにも執筆している方で、もう20回以上も辺野古へ来て取材されているとのことであった。キャンプ・シュワブとの境界の鉄柵の所へ行き、基地内を見た。現在建設工事中のコンクリートの土台らしきものが見えている。グリーンのヘルメットを被った作業員が立っていることが確認できた。この建築物はさらに海岸にせり出そうとしているように見えた。この建築物を建てるために以前あった建物は移動させたとのことで、何のための建築物なのかは、山本さんもわからないとのことだった。この建築物は防衛省の予算で行われていて、止まっておらず、どんどん進められている。キャンプシュワブの先端には白亜のゲストハウスらしい建物がたっていた。Aさんが2007年に来た時にはなかったといって、驚いていた。遠くには長島、平島が見える。ここも埋め立てられようとしているのだ。リーフの外は外洋で境界には白い波頭がたっている。基地との境界には監視カメラが設置されていた。Aさんと、「あの建築物は道路ではないのか。インフラを整備してしているのではないのか」と結論めいたことを話し合った。民主党政権下でも辺野古新基地への布石がどんどん打たれていることに危機感を更に深めた。

  
キャンプ・シュワブ基地内の白い建物



「ONE SHOT ONE KILL」 上映会
・午後2時から辺野古コミュニテイーセンターでの「ONE SHOT ONE KILL」の上映会に参加した。制作した藤本幸久監督が、なぜ辺野古で初公開したのか、その思いの丈を語った。「私は辺野古で若い兵士を見た。なぜこんな若い兵士がここにいるのか、どうやってここに来ているのかという衝撃を受け制作を始めた。米には新兵教育のためのブートキャンプが2カ所ある。西海岸と東海岸に。その内の東海岸サウスカロライナ州ハリスアイランドで撮影した。新兵3万人の内2万人がここの出身だ。どういう使命を背追っているのか。制作を早めて、辺野古で開催した。今回、辺野古の大長老かようさん自ら区長に出向いて頭を下げて、会場確保を頼んでいただいた。ありがとうございました」。かようさんは、「今日の沖縄タイムスを見て驚いた。大馬鹿者の知事がいたものだ。(松沢神奈川県知事の辺野古新基地推進発言)今日は参加者が25人くらいと思っていたが、会場あふれるくらいいて、涙が出るくらいうれしかった。名護市長選、沖縄県知事選を頑張ろう」と挨拶した。
 映画終了後、藤本監督が「300分の1がアフガンの戦場で亡くなっている。30分の1が負傷兵として、米に帰っている。50万人の兵士が心に深い病を持ち、3分の1にも達している。毎年新しく兵隊にしないと戦争が続けられなくなっている。15万人づつ新兵にしている。半年後には戦争に送り出している。ブートキャンプは最初の一歩だ。来年1月21日から、那覇の桜坂スタジオで公開予定です」と締めくくった。


沖縄国際大のモニュメント
 映画が午後4時に終了し、宜野湾市の沖縄国際大学へのヘリ墜落事故現場へ向かった。
午後6時頃、到着した。基地を許さない女達の会のYさんから当時の状況を説明してもらった。
 ★事故当日は講演会に出席していて、講師の先生が、大変な事が起こりましたと言ったので、事故現場に駆けつけた。
 ★米軍のCH53Dヘリが、いろんな部品を落としながら、最後にローター(羽)を落として、沖縄国際大学の校舎にぶつかった。ヘリはへろへろになっていた。
 ★道路をへだてた所に住んでいた、ある母親は、知り合いから「ヘリコプターが飛んでくる」と連絡を受け、子供をかかえて避難した。前の道路にはローターが落ち、道路をふさいだ。家のふすまには、ヘリの部品が突き刺さっていた。危機一髪の避難であった。
 ★米軍は墜落現場に、米軍基地のフェンスを乗り越え、大勢の米兵が来て、周辺を立ち入り禁止にした。地元の消防車だけは現場に入れて、火を消させた。警察は中に入れさせなかった。米軍は日米地位協定の拡大解釈をして適応した。

民家に隣接する普天間飛行場
 ★沖縄国際大は、ヘリがぶち当たって黒こげになった校舎の壁を残そうとしたが、校舎の再建費用がかかるとして、「経営上の問題」から防衛省が即座に出した「校舎の建設図面」に乗っかって校舎を再建した。
★墜落現場は、モニュメントがあり、当時の状況と写真が展示してあった。黒こげになった木の一部が残っていた。この木が早く普天間閉鎖、撤去を訴えているように感じてならなかった。
11/7は午後六時過ぎにフィールドワークしたため、写真がきれいに撮れなかったので、11/8午前中にもう一度来ることにした。
(私のコメント)普天間基地に隣接して沖縄国際大学が位置している。整備不良と言われているヘリは長さが電車の車両1両分あり、これがへろへろ状態で、墜落した。このヘリが何とか部品や羽を落としながら基地にたどり着こうとして落ちたのだ。このようなことは日常茶飯事な事だと思う。日々の生活で米軍機の墜落の恐怖を感じていることが、現場のフィールドワークで実感した。

11/8午前中
・嘉数台公園から米軍普天間基地をフィールドワークその後、沖国大ヘリ墜落現場の再度のフィールドワーク
・琉球新報朝刊に「嘉手納統合案断固反対 普天間移設 町民大会に2500人 決議採択でも行進 基地負担増許さず」との見出しが躍っていた。なんと予定されていた参加者の2倍だった。沖縄県民の思いと怒りが高まっていることを感じた。
・嘉数台公園から、普天間基地を見る。テレビ映像では基地そのものしか撮っていないが、隣接する住宅が基地のすぐそばまで迫っている。これではヘリも進入高度が低ければ、マンションやビルに激突することも容易に想像できた。沖縄国際大学も基地の間際に建っている事が確認できた。普天間基地は宜野湾市の高台にあり、一番良い土地を占領していることがわかった。この公園の展望台には、宜野湾市の解説版が掲示され、私は、いかに普天間基地が市民生活に苦難をもたらしているのかを強く感じた。

11/8午後
・県民大会参加
[速報]11月8日辺野古への新基地建設と県内移設に反対する県民大会 21000人が結集し、普天間即時閉鎖、辺野古移設反対を突きつける(リブ・イン・ピース☆9+25)

11/9

やんばるの森
・東村高江のヘリパッド建設建設予定地座り込みへの連帯行動。
・午前7時30分那覇の宿舎出発。那覇ICから沖縄自動車に入る。月曜日の朝なので、嘉手納基地に近い沖縄南ICまでは混んでいた。名護市の許田ICで降りた。一路東海岸の国道58号を走る。名護市を抜けると、羽地内海が左手に広がっている。エメラルドグリーンの海が目に飛び込んできた。本当に目の覚めるような美しさにびっくりした。そこを過ぎるとやんばるの森の方向に走った。やんばるの森も本当に美しい。車を止め、カメラに納めた。東村高江の米軍北部訓練場訓練場前N−4ゲートにヘリパッドに反対する会の座り込みのテントがあった。そこで、なんとフォトジャーナリストの森住卓さんに出会った。地元の女性と座り込みをしていた。森住さんは11月号の雑誌「自然と人間」に「やんばるの森にヘリパッドはいらない 新政権に沖縄住民の訴え」と題して、記事を掲載し、その記事には以下の点が書かれていた。
☆この森のほとんどが米軍北部訓練場として米軍の訓練に使われ、連日激しいゲリラ戦闘訓練が繰り広げられている。
☆1996年のSACO(沖縄に関する特別行動委員会)合意によって国頭村側の訓練場の返還と引き替えに国頭村側にあったヘリパッド(ヘリコプターの離着場)6カ所を東村側に移設する計画。ヘリパッドは人口160人の小さな高江区を囲い込むように配置されている。
☆単なるヘリパッドではなく、辺野古に予定されている新基地に配備される新型垂直離発着機オスプレイの着陸帯、すなわちオスプレイパッドとでも呼ぶべきものが作られようとしている。
☆さらにこれまでできなかった、海からの上陸、逆に陸からの海への脱出などの訓練も可能になる「水域の提供」も含まれる。
☆演習地の北半分の返還の裏で基地機能強化の狙いがある。などなど。


佐久間さん
・さらに、車で10分上がって、N−1ゲートの座り込みテントに行った。24時間座り込みを継続している佐久間さんと出会って、話を聞くことができた。
☆2007年7月から座り込みを開始した。座り込み3日目で、防衛省が妨害してきた。4dトラックで700台の砂利を入れる計画が明らかになった。トラック2台しか砂利を入れていない。名護の警察も来て、「中立だ」と、防衛局と間に入って、帰って行ったこともあった。
☆佐久間さんは、辺野古の座り込みに参加した。カヌーを漕いだり、潜水したりしたが、不得意だったので、キャンプ・シュワブの前で「NO BASE」の立て看を持って、立ったりして、高江のヘリパッド建設反対に来た。最初は沖縄平和運動センターの山城事務局長が24時間の監視活動をやっていたが、沖縄知事選に立候補することになり、できなくなったので、それ以後づっと監視活動を行っている。
☆防衛局は裁判所の判決でるまで、何もしないと言っている。

 私は、何も調べたり、勉強せずに、高江ヘリパッド建設反対座り込みの現場に来たことをとても残念に思ったが、そこで購入した「やんばるからのメッセージ」〜沖縄県 東村・高江の記録〜2007年、「高江の近況」07年12月25日〜08年3月20日、「高江の近況」08年6月23日〜09年1月20日、高江「仮処分申し立て」に異議申し立て!のDVDなどを見て、要点を報告したい。

☆2006年2月、高江区住民は住民臨時総会を開き、全会一致でヘリパッド移設反対を決議した。「へりっぱっといらない住民の会」を中心にした住民と支援者が座り込みと監視活動を行い、2007年8月、12月の防衛局による工事の砂利搬入以降は実質的に工事を阻止している。
☆防衛局は、2008年12月現地で座り込みをしている人に対して「道路交通妨害」として、その禁止を求める仮処分申請を那覇地裁に提訴した。しかも「債務者」(裁判の被告にあたる)は、高江区住民の15人に絞り、その中には8才の子供まで含まれるという不当で異常な暴挙だった。
☆すでに5回の「審尋」(裁判所の公判)が行われ、その中で防衛局は「道路交通妨害」とする具体的行動を示せなかったり、道路脇に止めていた車についても所有者がわからないなど極めてずさんで、、住民の運動つぶしを目的にしたものであることが明白になりつつある。
☆総勢16名の弁護団が結成され、防衛局の仮処分申請への裁判闘争が闘われている。10月 3日には那覇地裁の裁判長が現地視察を行った。

大変困難な状況にも関わらず、住民達は座り込みと監視活動を続けている姿に、大変感動し、是非とも大阪に帰ったら、現状を伝え、連帯していきたい気持ちになった。