[講演録](その二)

教育基本条例は何をもたらすか 〜東京と大阪の教育現場から〜
  
第一部 渡部謙一さん講演(2)

レジュメ『東京から大阪へ〜東京の「教育改革」は何をもたらしたか』(2012,2,26 渡部謙一)
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都教育委員会は校長を信用しない
 三番目に、それを作り出すために教師を従順に…、教師にものを言わせない、文句を言わせない、文句を言うやつは切る、という単純な論理です。学校の経営における校長の権限を確立するだの、リーダーシップだのと言いますが、まったく嘘です。その中身は、権限を垂直化して、徹底した教職員の管理統制を進めてきました。
 まず第一に最初に、校長会は解体されました。人事考課制度が導入される時、校長会は教員評価に反対したんです。我々の中で委員会を作って、(人事評価をする)会社を(参考のために)調べた。例えば、私が最後に勤めた久留米高校というのは定時制併設校です。校長は一人ですから、勤務時間は朝の8時半から午後11時まで。私は6時過ぎまでいたことはありませんけれども、真面目な校長は授業観察なんていうと居なけりゃならないんですよ。それから、校長交渉、――私も最初1回あっただけで、あとは一切交渉なんてしに来なくなりましたが――定時制が終わってから校長交渉、校長をいじめるために来ますからね、みんな――みなさんの学校はどうか知りませんけれど。(それで遅くまで)残ってなけりゃいけないんですよ。
 それでも、校長はやっぱり最終的には先生方の立場に立つんですね。最初から校長になろうとして教師になった人なんているわけないから。だから、教育委員会は誰を信用していないかというと、教職員ではないんです、校長を絶対信用していないんですね。
 職務命令とは何かという問題はたいへん重要な問題で、大阪市教委も校長に、「職務命令を出せ」という職務命令を最近出しましたよね。だけど校長達は素直に従わない。したがって、校長会はつぶされました。
 今まで(つぶされるまでの校長会は)、月一回出張で各校持ち回りで学区ごとに集まって、教育委員会から指導主事が来て、そして校長達が自主的に運営してる会、つまり現場の声を教育委員会に反映させるような会だったわけです。そして指導主事がその声を持ち帰るんですよね。だいたい私はその校長会なんていうものに偏見を最初持ってたんです。でも驚きました。もうすごかったですね。その校長達が教育委員会を罵倒して、「こんなこと教育委員会はわかってんのか」と。だから解体されたわけです。だからものを言わせない。今は全部個別のヒアリング、校長を呼び出して一対一です。一対一になったら弱いですから。

学校の教員を複雑な位階層に分断し協働を破壊
 「(3)学校組織の位階層的重層化」。まさに戦前の位階層をですね、身分として。東京の場合どうなっているかというと、校長をも二つに分けている。職層ですよ、これは。だから給料が違うんですよ。職階ですから。(校長を)「統括校長」と「校長」に分けている。これがわけわかんない。能力となんとかによって…と書いてあるんですけど、そんなもの全然わからない。とにかく統括校長の方が給料がいい。それから校長、それからその下に「副校長」――東京は一番早く教頭を副校長に名前を変えましたから。その下に主幹がいますね。
 それから教諭を二つに分けました。学校教育法の改定で、「指導教諭」を設けることができるというふうになりましたが、東京の場合には「主任教諭」と「基礎教諭」に。それからOGATっていう研修体制が数年前に持ち込まれたんですが、それではさらに、教諭を、「基礎形成期教諭」と「伸張期教諭」に。つまり基礎形成期というのは初任者、入ってすぐの人。伸張期というのは上を目指す、主任教諭を目指す人たち。二つに分ける。それでもうとっくに実習助手は二つに分けられているんです。「専修実習助手」と一般の「実習助手」に。だからそれだけの階層化がなされる。この階層化で問題なのは、46歳で教諭のままだと、そこで昇級ストップされます。上がれません。
 それからさらに問題なのは、要するに教育は協働性というか、一人の子どもに一対一で取り組むんじゃなくて、先生方がみんなで取り組むわけですが、その取り組んでいる先生が、「主幹教諭」、「主任教諭」、それから「教諭」、「なんとか期教諭」、そんなことが持ち込まれることです。
 たとえば下駄箱、馬鹿なことがたいへん起こった。下駄箱の順番! 校長、教頭って。それを入れ替え。それから出勤簿。今はタイムカードですが、出勤簿の順番もそうですね。校長、教頭(副校長)、主幹、主任教諭というふうに全部変えた。
 で、たとえば入学式にしても始業式にしても、生徒や父母に担任団を紹介します。すると同じ担任の中でも、主任教諭誰々、教諭誰々。これが生徒や親に与える影響はというのはすごく大きいわけですよね。「うちの担任は主任教諭だ」とかね(笑)。そんなことが教育的にたいへんなマイナスを生んでいく。

職員会議を補助機関化し、話し合いを認めない
 それから四番目に「職員会議の補助機関化」ということですね。これは、こちらでも呼んだかどうかは知りませんが、東京で土肥校長というのがこのことで都教委に反発して嘱託にも採用されずに、今裁判をやっています。こないだ地裁判決が出て、当然のように負けましたけれども。
 土肥先生は言論の自由、民主主義ということの一点からがんばっておるわけですが、この「補助機関化」で都教委は何を言ってるかというと、職員会議の機能を三つに限定してるんです。一つは校長の経営方針の周知徹底。二つ目は教職員相互の連絡、それから校長は教職員の意見を聞く。この三つに限定しているんだと明言しています。私も土肥先生の裁判で陳述書を書きました。そのことをまず取り上げて、これ徹底している。すなわちそれ以外は認めないというんですね。何を認めないかというと、教職員、先生方の全員での協議そのものを認めないというんですね。話し合いを認めない。これがもう教育実践の自殺行為じゃないですか。文科省だってそんなこと言ってませんよ。
 その陳述書でも私は文科省のいじめ問題に対する対策のいろんな通達を出してます。そこに書いてあることだって、ほとんど職員会議でこの問題を取り上げて全員の共通理解を図ることだとか、そういうことをみんな書いてあるんです。そういうことさえもさせないんじゃないかと。そう言ったら都教委は――私が証言を申請したんですが――、証言台に立つのを拒否しました。ということは、その陳述書を反論しないということですから。私の陳述書を全面的に認めたと言うことなんですね。それが最大の問題だと私は思います。

教員を「できる」「できない」に無理矢理分け、給料に差を付ける
 それから「(5)人事考課制度」というのは、大阪もかなりひどいみたいですが、東京が最初に持ち込んで、これはいろんな県で、全部に今ありますが、もう県でまちまちですね。たとえば長野県で言うと三段階評価、総合評価もしない。要項に明確にこれは生徒の教育に資するためにおこなうのだということが明記されています。東京はそんなことは明記していません。東京が明記しているのは、組織の活性化と処遇への適正な反映ということを最初から要項にうたっている。教員の処遇に反映させるためにこれを設けるんだということですね。だから5段階、ABCDEだったのを2006年に改訂して4段階にしたんです。なぜか。5段階にすると、私もやりましたが、ほとんどの校長は真ん中に集中させちゃうんです。Cにする。差を付けない。そういうところで教育委員会は校長を信用していないわけです。校長は先生方に不利にならないようにってまず考えますよ。ま、中には考えないやつもいるかもしれない(笑)。いじめどころにしてる校長もいるかもしれませんが。だからそれ(真ん中に集中させること)をさせない。4段階でABCD、上か下かに分けちゃうということ。
 それで、Aのうち20%は昇給短縮ですね。6ヶ月か9ヶ月で昇給できる。Dの付いた者は3ヶ月昇給停止です。12ヶ月分差が出る。もうこれは全部手当とかにも反映して、生涯賃金でものすごい額の差が付くわけですね。
 そして本来なら絶対評価とうたってます。しかし、だいたい表に公表することと――さっき言ったヒヤリングで全部申請なんかするわけですが――、その時にやられることと全然違いますからね。持って行くとその場で私は最初の時には全部順番に並べろと言われましたよ。上位5人は誰、下位5人は誰か。今、20%C、Dを付けなければ受け取りませんというような状態になっています。
 それが一つと、もう一つ問題が、じゃあ何を基準にその評価するのかということですね。全国的に違うのですが、長野なんかは当然各学校に、学校要覧があって、そこに学校教育目標があるんです。それが当然教育課程の目的であり、柱であるわけですから、目標に沿って。長野なんかはそうです。教職員、先生たちは、数値目標はどうのこうのと言ったって、年間の総括をするわけじゃないですか、学年だろうと、分掌だろうとみんなやってますよ。そしてそれをもとに来年度の目標を作るわけですね。生活指導部だったらば、家庭のこと、処分者がこれだけあったと。これを何パー少なくしようとか。教育委員会なんかに言われなくとも、自分たちで作る。そういう目標、それを受けて私は学校の教育目標にしたわけです。

人事考課制度は、教員に教育的力量を発揮させることができなくする
 ところが東京の場合にはそれは駄目。学校経営計画というのを提出させられます。それは教育委員会の目標に沿ってこうこうと形式まで決まっている。数値目標を入れてと指示される。それに沿った経営計画を作るわけです。D評価は全員昇給停止になるんですが、併せてこれが開示になりました。これは最初から校長会は開示を要求したんです。開示しない評価なんてのは、秘密裏にこそこそやるのはありえないと。要するに我々も先生方もお互いに納得するというのです。で、開示になったから余計校長も気にするようになりましたし、教育委員会が言っているのは、「客観的根拠」が示せるようにしろというわけですよね。なぜ私がDか、なぜBなのかというのが示せられないんですよね。するとどうなるかというと、校長の学校経営計画、それに沿ってるか沿ってないか、どんなりっぱなことやったって、それに沿ってなきゃ駄目なんですよ。そんなことは私は言っていないと…。
 これは小中なんかそうじゃないですか。いろんな研究集会なんかに行って、すばらしい、こないだも小学校の先生の算数の教育、独創的な取り組み、発表を聞きましたが、その先生が最後に言ったのは「でも、私はいつもDです」と(笑)。校長はなんと言ったかというと「学習指導要領と全然違う」ということ。「客観的根拠」というとそんなんですね。
 高校段階でいうなら、私がずっと言い続けていますが、人事考課制度というのは最大の害悪。校長っていうのはね、教育的力量が優れているから校長になったわけじゃないわけですよ。この私が自分自身見てもう非常によくわかりますよ。実感してますから(笑)。もっとひどいの(笑)違う違う。いっぱい、ほとんどですよ。別の論理で選ばれたんですよ。ですから、これ(人事考課制度)はその校長の教育的力量内に、全部先生方を押し込むというのですね。校長なんかより優れた教育実践家は学校にいっぱいいるじゃないですか。
 「授業観察」というのは、高校でいうと、1学期に1回、単位時間いわゆる50分。年3回校長と教頭が一緒に全員見るんです。終わったら面接指導をする。そんなの見たって私はわかりませんよ。英語の先生は教案なんてわざと英語で書いて出してくるんですからね(笑)。数学なんて一番できなかったから、大学2年もやり直しをさせられましたから全然わからない。わかるわけないんですよ。専門性で教科は成り立ってるでしょ。小学校は違うでしょうけれど。専門性に基づかない評価なんてものはありえないわけじゃないですか。それで専門性は関係ないって言ってるんですね、都教委は。だからこの評価の基準なんてものは本当に付けようがないですね。
 これはいろんなところで私はもっと具体的なことを書きましたが、つまり結論を繰り返すと、こういう校長の教育的力量内に押し込めると、先生方に本当に教育的力量を発揮させることはできないということなんですね。それが最大の問題だと思います。
 そして、今度は大阪もそうですが、民間人校長に変えていくんですね。免許も持たない。教壇に立ったこともない校長をどんどん増やしていく。全国的にはこういう状態になっているんですね。

(つづく)
2011年3月14日
リブ・イン・ピース☆9+25

教育基本条例は何をもたらすか 〜東京と大阪の教育現場から〜
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