[投稿]「靖国合祀イヤです訴訟」判決の日
最初から最後まで常識はずれの判決
遺族の意志に反して祀る行為が「信教の自由」?
国が靖国神社に情報を提供しても政教分離違反にならない?


 2月26日、大阪地裁で「靖国イヤです訴訟」の判決が言い渡されました。原告が靖国神社と国に対して求めていた霊璽簿(れいじぼ)、祭神簿、祭神名票からの氏名抹消と慰謝料の請求はことごとく棄却されました。全面的に被告の主張に基づく全くの不当判決でした。

「主文だけ聞いて騒がないように」――あまりのひどい判決に、裁判所が予防措置??
 判決の場では、裁判長が判決の要旨を書いたものを読み上げました。裁判所側はあらかじめ「主文だけ聞いて騒がないように」と言っていたそうです。それで原告も支援者も「原告らの請求をいずれも棄却する」という主文を聞いても、中身においてなんらかの前進を勝ち取っていることがあるのかと思って、黙って聞いていたそうです。ところが、最後まで聞いても全て被告側の主張に全面的に基づいたものでした。このやり方からして実に卑劣なものです。
 傍聴に入れずに外で待っている私も、なかなか知らせが来ないのはいい徴候だと思っていました。少なくとも国の政教分離違反は認められたのではないか…、そう考えていました。ところが垂れ幕は「不当判決」! 門前払いの「却下」ではないものの、内容的にはそれに等しいものでした。
 以下、判決後の集会における弁護士さんたちの解説を参考にしながら、判決の問題点について述べていきたいと思います。

法廷で圧倒していた原告の主張が判決では被告の半分の量に
 判決の本文は全部で82ページで、そのうち原告の主張の要約は10ページですが、被告の主張には20ページをあてているそうです。私はこれまでずっと傍聴を行ってきましたが、法廷で陳述した時間は原告の方が比べものにならないくらい多く、被告側はたいてい一言か二言しか話しません。また書面の数だけ見ても、原告は第20準備書面までを提出し、被告の国と靖国神社はそれぞれ、答弁書と第5準備書面までしか出していません。これに「新編 靖国神社問題資料集」などの証拠を加えると、実に膨大なものを原告が提出しています。それにもかかわらず、裁判所は、被告の主張の要約に原告の2倍の量をさいています。このような量的な面での不当な扱いは、質的な中身の面の不当性と密接に関わっています。

「敬愛追慕の情に基づく人格権」は矮小化された上で切り捨てられた
 25日の判決前集会で田中伸尚さんが言われていたように、戦死者が1000人いれば1000通りの生と死がありますが、靖国神社はそれら全てを捨象して、ただ一点「皇国のために戦死した」かどうかで死者をとらえています。一方、原告の方はかけがえのない自分の肉親として具体的な関わりを持っています。
 法廷では原告全員が自分の戦死者との関係を陳述しました。親族との関係が、自分の人格形成にいかに密接不可分であったかということが語られました。それが「敬愛追慕の情に基づく人格権」の具体的な内容でした。
 この「敬愛追慕の情」という概念はこの裁判で突然「考え出された」ものではありません。故人の遺影を勝手に撮影され雑誌に掲載された事件など、死者の尊厳を冒涜する事件では遺族がどういう権利を根拠として訴えを提起できるのか、それは、この「敬愛追慕の情に基づく人格権」だったのです。また、小泉首相靖国参拝の一連の訴訟の中で、大阪訴訟の最高裁判決(2006年)において「遺族の敬愛追慕の情は法的に保護されるべき利益となり得る」という補足意見が述べられています。
 しかし、裁判所は原告が語った陳述をほとんど無視し、1988年の「山口県自衛官合祀違憲訴訟」の大法廷判決を引用することから始め、今回の事案もそれと全く同じだと決めつけました。
 自衛官中谷(なかや)氏が交通事故で亡くなった時、その妻でキリスト教徒である中谷さんの強い拒絶にもかかわらず自衛隊のOB組織によって護国神社に祀られたこの「山口県自衛官合祀事件」は、地裁と高裁では原告となった中谷さんの主張が認められたのですが、最高裁では中谷さんの「宗教的人格権」は法的保護には値しないとされてしまったのです。大法廷判決では、祀られているのが中谷さんの夫であるという言葉は一言もありません。単にある人を誰がどう祀ってもそれは信仰の自由であり、AとBの「信仰の自由」がぶつかっている場合には、自分の信仰と異なる他の宗教に対しては「寛容」であるべしとされたのです。「寛容」という聞こえのいい言葉で、国と自衛隊OB会という巨大組織を相手取った一個人中谷さんの異議申し立ては封じ込められてしまいました。
 しかし、中谷さんも今回の原告も、別に宗教論争をしているのではありません。親族が自分たちの意に反した祀られ方をされていることを拒絶しているだけなのです。今回の原告の中には宗教者もおれば無宗教の人もいます。原告全員に共通するのが、「敬愛追慕の情に基づく人格権」が侵害されたということです。

 裁判所は、「敬愛追慕の情」について原告が説明した数多くの言葉の中から「自己イメージ」という一言だけを取り出し、それを曖昧なものと決めつけ、「故人に対して縁のある他者が抱くイメージも多々存在する」とし、「遺族のイメージのみを法的に保護すべきものとは考えられない」としたのです。
 こうした強引なやり方は、どんな屁理屈をつけても原告の主張を絶対に認めないという恣意的な姿勢の現れに他なりません。

「靖国神社のためだけに戦没者情報を集めていたわけではない」――どうしてこれが国の関与を免罪する理屈に?
 こうして、原告には法的に保護されるべき権利がないと断じておいて、裁判所は残りの全ての争点についても、そこから導き出す論理を組み立てました。すなわち、原告の権利は何も侵害されていないのだから、靖国神社や国が何をやったとしても、権利侵害にはあたらないと。
 それでは、「新編 靖国神社問題資料集」で明らかにされた国の関与について、裁判所はどう判断したのでしょうか。
 裁判所は、靖国神社における合祀において、国が「戦没者の情報の把握に協力するという多数の合祀を行う上で重要な要素をなしていた」と認めました。ところが、驚くべきことに「…とはいえるものの、被告国は被告靖国神社のためだけに戦没者情報を集めていたわけではな」いと述べて、その行為を免罪したのです。靖国神社に情報を提供する以外にも目的があったということで、国が靖国神社に戦没者情報を提供することが許容されるでしょうか?!
 なぜこんな理屈が通るのか、まったくわけがわかりません。靖国神社以外にもこの情報を提供していたり、別の目的があったとしても、莫大な予算と人員を使った靖国神社への情報の提供は、「いかなる宗教団体も、国から特権を受け」てはならないという憲法の政教分離規定に明らかに違反しています。この規定は、まずもって旧憲法のもとでの国家神道を念頭に置いて作られたものです。あまたある神社の中でも、靖国神社は軍の施設そのものとして特別の地位を占めていました。国と靖国神社との関係を大目に見るというのは、この憲法の規定が何のためにあるのかをまったくわかっていないことになります。
 判決では、国が靖国神社に強制的に合祀をさせたわけではなく、合祀は靖国神社の自主的な行為なので、国の情報提供はなんら問題がないとしています。

 ところで、この判決の報道は2月26日の夕刊においては各紙でなされましたが、翌日の朝刊には続報はありませんでした。普通、こうした注目の裁判では、判決の要旨が翌日の朝刊に細かい字ではあっても掲載されるものです。
 翌日の朝刊に掲載されていないというのは、できる限りこの裁判のことを知らせないようにするためでしょうか。それとも、この判決の要旨があまりにも非常識だったからでしょうか。

世界に例を見ない靖国神社の非常識
 とにかく、この問題はまだまだ終わってはいません。原告の方々はこの判決を承服することはまったくできないという思いを、力強く、あるいは悲しみに満たされながら、あるいは淡々と、あるいはまた豪快に笑い飛ばしながら述べ、今後への決意を新たにしました。弁護士さんたちも、実に控訴状の書き甲斐がある判決文だと述べ、意欲満々でした。
 東京と沖縄でも同じように靖国神社と国を相手取った訴訟が起こされています。東京の原告は全員韓国人で、植民地政策の被害者でありながら親族が加害者の神社に祀られるという筆舌に尽くしがたい苦しみを感じています。また、生きているのに合祀されてしまったという人もいます。
 世界には戦死者を祀る施設は数多くありますが、高橋哲哉氏によれば、遺族の意志を無視して祀り続けるこのような施設は世界に例を見ないということです。それはまったく当然のことであり、このことだけでも靖国神社の非常識ぶりが際だっていることがわかります。

 遺族が「いやだ」と言っているのに、戦死者を祀り続ける自由、そんなものは「信教の自由」に値するのでしょうか。
 どんな集団からでも、そこから抜け出る自由はあります。抜けることすら拒否するというのは、いったいどんな集団なのでしょう。暴力と洗脳を旨とする組織しか思い浮かべることはできません。戦前の天皇制絶対主義の日本は、まさに国全体がそのような組織でした。
 今回の判決は、そうした体制を担ってきた者たちの末裔がまだまだこの日本で陰に陽に大きな勢力を持っていることを示しています。その一方で、この判決文は、強引な手法を使わなければ原告の言い分を認めざるを得なくなるということも表しています。
 まだまだ粘り強い闘いが必要ですが、道理は靖国神社の側にはありません。そのことははっきりしています。今後とも、この裁判を支援し、傍聴し続けていきたいと思います。

2009年2月28日 大阪Na


[参考]靖国神社参拝反対のページ(署名事務局)