[パンフレット]
沖縄・宮古島「慰安婦」被害者の足跡をたどる旅


 2010年9月3日から5日まで沖縄・宮古島への旅があり、リブ・イン・ピースのメンバーも参加してきました。沖縄も宮古島も、日本軍が「慰安所」を設置し、多くの女性が連行されました。現在少なくとも沖縄全体で136カ所あったことが判明しています。また宮古島にはハンセン病患者の療養所があり、そこでの戦争中の悲惨な体験、ハンセン病への差別や偏見のお話を聞くこともできました。侵略戦争と沖縄差別、沖縄戦と「慰安婦」問題などが密接に絡んでいることをあらためて知りました。多くのみなさんにその事実や思いを知っていただきたく、パンフレットを作成しました。日本軍「慰安婦」問題の解決に向けた一助となればと思います。

2010年10月14日
リブ・イン・ピース☆9+25

(前書き)
 私は沖縄は初めてではありません。四回目か五回目か……それなりに回数だけは重ねています。
 私が日本軍「慰安婦」問題に関心を持ったのは大学生の時ですから、もう二十年くらい前になります。当時は金学順ハルモニが名乗り出られる前で、千田夏光や金一勉、あるいは吉田清治など少ない本しか世に出ていませんでした。そんな中で私の心をわしづかみにしたのは川田文子さんの『赤瓦の家』でした。心の中で在日朝鮮人問題が最も多くを占めていた頃、ペ・ポンギハルモニとの出会いは、今でも心の中に引きずっています。ペ・ポンギハルモニがどんな思いで「慰安婦」とされた過去を抱え、沖縄で戦後を生きてられたのか、今でもよく思い悩みます。金学順ハルモニが名乗り出られたわずか二ヶ月後の一九九一年の十月、ペ・ポンギハルモニはひっそりと亡くなられました。もし生きておられたらこの十九年をどのように感じられたでしょうか。私たちは未だに真の解決を実現できていません。
 沖縄に、ペ・ポンギハルモニや他の「慰安婦」の足取りを訪ねることは、二十年来の夢でした。それがこれまで実現できなかったのは、ひとつは政治課題が浮上する事でしか訪沖しなかったということ、そしてもう一つはこれまで「慰安婦」問題の運動には関わってこなかったので、この問題に関する人的なつながりがないということでした。この間、運動に関わることにより人のつながりができ、念願の「慰安婦」被害者の足跡をたどる旅を実現することができました。関西で「慰安婦」問題の解決に取り組む友人たちに本当に感謝しています。
 沖縄では「慰安婦」問題の真相究明への取り組みが本当に進んでいます。それは沖縄での「慰安婦」被害が日本の他のどこよりも「戦地」あるいは「準外地」であったことの証左でもあるのですが、それよりも沖縄の運動の力に他なりません。
 今回の旅では、歴史に学ぶと言うよりも、沖縄の運動に学ぶことの方が大きかったようにさえ思います。様々な人のつながりに感謝しつつ、この原稿を書きました。是非お読み下さい。

おーたからん 拝

沖縄・宮古島「慰安婦」被害者の足跡をたどる旅
発行:リブ・イン・ピース☆9+25
http://www.liveinpeace925.com/
2010年9月
カンパ200円
この収益は韓国ソウルに建設される
「戦争と女性の人権博物館」建設委員会
に寄付されます