シリーズ 韓国・徴用工判決 安倍政権の「嫌韓キャンペーン」を批判する
(4)朝鮮植民地支配の実態と強制動員の過酷な実態

 私たちは、今回の韓国大法院判決をきっかけに、徴用工問題、さらに日本の植民地支配の歴史的事実、過酷な実態を、改めて学ぶ必要があると考えます。そして、その真実を覆い隠そうとする日本政府、安倍政権と財界を厳しく批判しなければなりません。

 シリーズの(1)と(3)で書きましたが、日本政府と財閥企業は1939年から朝鮮人、特に農村の労働力を大量に組織的に日本に「移送」し労働させることを企てました。39年から45年までの間に本土へ送り込まれた総数は70〜80万人に上ります。これに、軍属(軍工夫等)として徴用された10万人が加わります。当時の朝鮮の人口は2354万人、16〜40歳の男性は421万人でした。つまり、労働力の中心層の5人に1人を日本に連行したのです。

 なぜそのようなことになったのでしょうか? それは天皇制国家・軍隊とその先兵となった財閥企業が、植民地とした朝鮮半島で、資源や農地や生活手段を奪い、朝鮮の人々を困窮に陥れ、募集に応じざるを得ない状況に追い込んだからです。
 39年以前の個別渡航による募集も、自由な意志などではなく、やむにやまれぬものだったのです。39年以降は、日本政府が「供給目標」人数を閣議決定し、厚生省と朝鮮総督府の厳しい統制のもとで目標を確保するため、集団的強制連行を行いました。暴力的な形で連れて行ったり警察が割り当てた人数を強制的に供出させたのが実態でした。
 多くの朝鮮人が途中で、あるいは日本に来てから命をかけて脱走しました。例えば、41年の移入(動員)数5万3千人に対して、逃亡は2万8千人、約5割に達します。この数字だけでも動員の強制性は明らかです。

 逃亡もあって、移入計画全体の半数程度しか実現できなかったことから、内務省、厚生省、朝鮮総督府が協議・作成した「内地移入要項」に基づき、割り当て動員人数を確保させた「官斡旋」でさらに強制力を強めることになります。戦局が悪化した44年8月に国民徴用令が出されて以降は、暴力的な拉致と監禁、人狩りが横行します。役人や警官が、深夜や早朝の寝込みを襲い、あるいは畑で働いている人々を有無を言わさず連行し、家族にも知らせず無理やり日本に連行し、タコ部屋に放り込みました。
 その過酷さも、労働者が連行途中や労働現場から次々に脱走・逃亡したことに表れています。この時も実に半数近くが命懸けで逃亡し、在日の同胞にかくまわれるなどして解放の日まで潜むしかありませんでした。

 労働の実態も悲惨でした。もともと、明治以降、特に「韓国併合」以降、日本での朝鮮人の扱いは差別と侮蔑に満ちたものでした。政府・財閥の排外主義政策の下で、人間と見なさず、危険な重労働に低賃金で酷使していました。39年以降の組織的な強制連行・動員では、それがますますエスカレートしました。
 朝鮮人労働者は、監獄のようなタコ部屋を割り当てられ、暴力による支配と過酷な労働現場で酷使されました。炭坑では坑内夫、地下工場などの土木工事では、最も危険な現場に配置されました。
 労働だけではありません。徹底した皇民化訓練、国語訓練、生活訓練などを通じて、民族の誇りを奪い、逃亡を企てた者には「不良者特別訓練」などとして体罰・暴行と強制労働で心身を締め上げたのです。

 安倍政権・メディアは、朝鮮人労働者に対するこれらの差別、非人間的な奴隷労働などなかったと言うのでしょうか。

2019年2月20日
リブ・イン・ピース☆9+25


シリーズ 韓国・徴用工判決 安倍政権の「嫌韓キャンペーン」を批判する
(1)韓国大法院が新日鉄住金・三菱重工業に賠償命令 日本政府と企業は判決を受け入れよ
(2)韓国大法院判決が明らかにしたこと(その1)――日本による植民地支配の違法性
(3)韓国大法院判決が明らかにしたこと(その2)――個人請求権の認定。日韓条約で解決済みは暴論
(4)朝鮮植民地支配の実態と強制動員の過酷な実態
(5)「解決済み」でない理由――日韓条約・請求権協定はどうのようにして締結されたか