シリーズ:「教育基本条例」の危険(その二)
「教育行政への政治の関与」「民意の反映」とは、
“大阪の教育はオレの好きなようにやらせろ”ということ
  
橋下氏が学校の人事から教育内容までを強権的に支配し、目障りなものを一掃
 「教育基本条例」の核心は橋下知事と大阪維新の会が、大阪府と大阪市の教育を掌握し、絶対的に支配し、大阪の教育を根底からつくりかえることにあります。
 条例案は前文で、教育への政治介入が厳しく禁じられてきたことに対して疑問を投げかけ、「教育行政への政治の関与」「民意の反映」の必要を説いています。しかし、実際に橋下知事がやっていることを見ると、その狙いは「民意の反映」とはかけ離れたものであることが分かります。
 橋下知事と維新の会は、一般的に政治と教育の関係のあり方に異をとなえているのではありません。橋下氏は知事になったにもかかわらず大阪の学校教育を意のままにできないのが気にくわないのです。橋下知事の意向が直接教育に反映されるシステムをつくりたいということです。さらには知事になっただけでは大阪市の小中学校の教育を好き勝手にはできない、だから府の方は大阪維新の会の腹心にまかせ、自らは大阪市長になって大阪府と市の学校教育全体を支配しようとしているのです。
 「起立しない教員は意地でも辞めさせる」「クソ教育委員会」「必要なのは独裁」「教育は2万%強制」などと、およそ理性的な公人とは思えない汚い言葉を投げつけて教職員や教育行政に対する敵意をむき出しにし、自分の言うとおりにならない者を力づくで押さえ込もうとしています。教育に関する人事権から教育内容までを一手に掌握したいという意図が現れています。しかもその手法は情緒的、扇情的できわめて危険です。
国歌斉唱「不起立の教員やめさせる」 維新の条例案、橋下知事 政令市も検討対象(産経新聞)
「敢えて言います。教育とは2万%、強制です。」(橋下徹ツイッターまとめ)
橋下知事「クソ教育委員会」ラジオ放送
橋下知事「政治に独裁を」 資金パーティーで気勢(産経新聞)

 橋下氏は「大阪の学校教育の目標はオレが決める」「オレに逆らう教育委員はクビにする」「校長もオレが募集する」「オレの気にくわない校長は3年でクビ」「ダメな教員もクビ」「逆らう教員もクビ」「教科書もオレが決める」「教員はオレに服従しなければならない」「保護者からのクレームは許さない」−−「民意の反映」と言えば聞こえはいいですが、「民意」とは「オレの考え」であり、「教育行政への政治の関与」とは、大阪の学校教育に対して橋下氏が直接権力を行使することにほかなりません。
 それにしたがって、以下のことが制度的に整備されることになります。
○大阪の府立高校と府立特別支援学校の目標は知事が決める。(第6条)
橋下氏と維新の会の教育方針に反する教育委員は、知事の意向で罷免にもっていける。(第6条、第12条)
○校長は公募制と有期雇用制で立場を不安定化し、橋下氏の目標に忠誠を誓わざるを得なくする。校長採用に「外部有識者による面接」を義務づけ、採用段階から知事の意向を反映させる。言うことを聞かなければ、「雇用契約」を継続しない。(第14条)
○教職員はその校長に絶対服従しなければならない。(第8条、第9条)
○使用する教科書は、教職員を選定から排除し、知事に従うしかない校長が学校協議会で決める。(第8条、第11条)
○「君が代」不起立を繰り返す教職員はクビにする。(第38条)
○「役に立たない」低評価の教職員もクビにする。(第19条、別表第3)
○グローバル人材の育成に貢献しない「困難校」は廃校にする。(第44条)
○保護者は(1)学校の運営に主体的に参画する義務、(2)家庭教育をする義務、(3)学校などへの「不当な態様で」の要求の禁止という3つの規制が課せられる。(第10条)
大阪府教育基本条例

 橋下氏と維新の会こそが絶対であり、彼らに逆らうもの、彼らにとって不必要なもの、目障りなものを教育現場から一掃するということです。条例は、そのストレートな目的をさまざまな修辞を使って条文化しているに過ぎません。
 まさに条例前文で謳う「教育行政への政治の関与」とは、教育の分野で橋下絶対主義体制を構築するということなのです。

“教育への不当な支配の排除”を、“政党支持教育の排除”に矮小化
 平和主義と個人の尊厳を掲げた日本国憲法に基づいて1947に制定された旧教育基本法では第10条で「教育は、不当な支配に服することなく、国民全体に対し直接に責任を負つて行われるべきものである」と、教育は国家や時の政権ではなく、国民全体に対して直接責任をもつものであることが明記されています。2006年に改定された教育基本法でも第16条で、「教育は、不当な支配に服することなく、この法律及び他の法律の定めるところにより行われるべきものである」と、旧教育基本法の規定を基本的に引き継いでいます。
 教育基本条例は、このような教育基本法の精神に真っ向から対立するものです。教育基本法違反の条例は許されません。
 しかも教育基本条例は、「教育の政治的中立性とは、本来、教育基本法第十四条に規定されているとおり、『特定の政党を支持し、又はこれに反対するための政治教育』などを行ってはならないとの趣旨であって」と、“教育の不当支配の排除”を“政党支持教育の排除”に矮小化しています。しかしながら学校の教室で「自民党を支持しましょう」とか「維新の会に反対しましょう」というような教育を行ってはならないのは当たり前のことであり、14条で問題にしているのはそのような露骨な政治教育です。それに対して16条で問題にしているのは、国家権力や政府(もちろん地方政府、首長を含む)が教育内容に介入することを厳しく禁じているのです。条例案が14条にしか言及することができないのは、まさに条例案が16条に抵触するからにほかなりません。 
 知事がかわるごとに教育目標がかわったり、政権をとる政党によって教育内容がかわるということがあっては、学ぶ子どもたちが大きな犠牲を強いられます。

教育の「不当な支配」=政治介入は、教育・学びとは相容れない
 教育基本法にある教育への政治介入を禁じた規定は、戦後民主教育の根本原則であり、戦前・戦中に教育が天皇制軍国主義と侵略戦争に利用され、教員自らが教え子たちを戦争に送り込んでいったことへの深い反省の上に立つものです。
 その中にはもちろん、教育が侵略戦争に加担したという政治的側面だけでなく、天皇を現人神と教え、「大東亜戦争」をアジアの解放戦争と教え、欧米人やアジア人を劣等野蛮人種と教え、天皇のために命を捧げることこそが美徳と教えるような、天皇国家に都合のよい歴史観、全く科学的に誤った教育内容、道徳・倫理などを一方的に植え付けたということへの反省があります。子どもたちが物事を批判的にとらえたり疑問をぶつけたりすること自体を否定した軍隊的教育姿勢そのものの反省があります。
 教育は、個人の尊厳を重んじ、子どもを一個の人格として尊重し、子どもたち自身の豊かな人間形成に導くことです。その中には、子どもたちに現在の社会や政治について批判的に考える能力を培っていくことを含んでいます。自然科学や社会科学について単にその知識を頭に詰め込むというのではなく、疑問を持ち自分の頭で考え自ら答えを導き出していくということこそが重要です。ですから、政治が教育に介入することがあってはなりません。ましてや、時の政権が自分に都合のいい知識や内容だけを子どもに植え付けるというようなことがあってはなりません。それこそがかつての天皇制国家における教育の反省なのです。たとえば条例が教育の目標として掲げる「グローバル社会に対応できる人材育成」は、中身は変わりますが「天皇のために命を捧げる臣民」と全く同じであり、まさに橋下知事という権力者に都合のいい教育です。
 「教育は2万%強制」という考えは、教育・学びとは相容れません。

2011年10月11日
リブ・イン・ピース☆9+25

シリーズ:「教育基本条例」の危険
(その一)はじめに――大阪の学校教育を破壊する「教育基本条例」
(その二)「教育行政への政治の関与」「民意の反映」とは、“大阪の教育はオレの好きなようにやらせろ”ということ
(その三)府立学校長からも批判噴出――10月3日維新の会と府立学校長との意見交換会議事録より
(その四)教育をすべて競争にしてしまう
(その五)グローバル社会を批判する人々は矯正が必要?
(その六)教職員間の信頼関係を根底から崩し、教員をつぶしてしまう

(その七)教育基本条例は、"集団的営みとしての教育"を破壊する
(その八)教育基本条例が依拠するのは、すでに破綻したサッチャー「教育改革」
(その九)保護者に、学校への協力や家庭教育の義務が課せられる
(その十)児童・生徒への「懲戒」条項
(その十一)寸劇「ユーケーリョクのコーシ」(家庭教育義務違反の悲劇)
(その十二)橋下語録に見る教育基本条例の危険性
(その十三)学校協議会が、校長・教員の評価、学校評価、教科書選定の権限をもつ強大な権力機関に
(その十四)重要なのは教育の質より生徒の頭数??――理不尽な競争に駆り立てられる公立・私立高校
(その十五)たとえ「民意を反映した」政権でも、教育への政治介入は許されない
(その十六)軍国主義教育(上)──教職員と教育の統制・支配から「教育の死」へ
(その十七)軍国主義教育(下)──教科も行事もあらゆるものが天皇賛美・戦争遂行の道具に